「自民党をぶっ壊す」。元首相の小泉純一郎が残した数々の名言の中でも、最も強烈な印象を放ったのはこの言葉だったのではないだろうか。
小泉の宣言通り、自民党はぶっ壊れつつある。2005年の衆院選では、郵政民営化に反対する議員に「抵抗勢力」の烙印を押し、党の顔とも言えるようなベテラン議員が議席を失ったり、離党に追い込まれたりした。小泉引退後の自民党は求心力を失い、支持率も低迷。2009年の衆院選では、政権与党の座から滑り落ちた。
2010年7月11日投開票の参院選でも、自民党の崩壊は一段と進むはずだ。かつては、盤石の保守王国だった島根も、自民が勝っても、負けても、変わらざるを得ない。(文中敬称略)
参院のドン引退で、長男擁立した自民
島根選挙区には新人4人が立候補。自民は「参院のドン」と呼ばれた実力者・青木幹雄(76)の引退に伴い、秘書で長男の青木一彦(49)が出馬する。対する民主党は、元地元テレビ局アナウンサーの岩田浩岳(34)を擁立し議席奪取を狙う。
島根は元首相の竹下登が強固な支持基盤を築いた「自民党の金城湯池」だった。しかし、3年前の前回参院選では、青木の側近で当時現職だった景山俊太郎が、国民新党の新人・亀井亜紀子に約3万票の大差で惨敗を喫している。
青木幹雄は2010年の年明け早々に出馬を表明、知名度と実力で、手堅く議席を確保するはずだった。ところが、5月13日、県内での会合に出席中に突然、不調を訴えて入院。病名は軽い脳梗塞で、15日には出馬断念を県連に伝えた。県連は公募も行わず、2日後には一彦擁立を決めた。
野党だけでなく党内からも「世襲」批判が噴出したが、県連としては「一彦で一本化するしか選択肢はなかった」(関係者)のが実情だろう。選挙を間近に控えた時期で、実力者幹雄の地盤を丸ごと引き継げるのは一彦をおいて他にはいない。3年前の悪夢を繰り返さないためには、世襲批判を浴びようとも、自分たちの地域の政治は自分たちで決める。それが良くも悪くも世の中の風潮に流されず生き抜いてきた彼らの流儀だ。