シリアの化学兵器問題の影に隠れるように、この9月4日に、シリアの「マアルーラ」という小さな村で事件が起きた。

 キリスト教徒が住むこの村で、「ヌスラ戦線」(注:アル・カーイダの下部組織と見られる反政府武装組織)などのジハード主義者(=イスラム過激派)を中心とする反体制派が、突如、政府軍のセキュリティポイントに自爆テロと思われる襲撃をしかけ、村を守る政府軍との間で衝突が生じたのである。

 その後、この村での衝突は、9月中、数週間断続的に続き、ようやく9月25日には、政府軍が村に残るヌスラ戦線を殲滅したとも一時報道されたが、実際には、村の洞窟に武装勢力が現在も隠れていると見られている。

 この事件は、シリアの化学兵器問題を越えて、現下のシリア問題の複雑さの一端を象徴している。

両軍に接した修道院長の証言

 ダマスカスの北東50キロメートルほどにあるマアルーラ村は、キリスト教徒数千人が住む小さな村だ。村には、イエス・キリストも話していた古代アラム語を今でも話す人々が住んでいる。筆者も23年ほど前に訪れたことがあり、村の少年から片言のアラム語を習った記憶が懐かしい。

 村は岩山に囲まれ、古代キリスト教徒が住んでいたであろうと思われる厳かな雰囲気が凛と漂っている。

 村にある岩山の奥近くには、聖テクラ修道院があるが、パウロの弟子であった貴婦人聖テクラにちなんでいる。伝承によれば、紀元1世紀、キリスト教徒となったテクラは父の差し向けた兵に追われてこの山に逃げてきたという。彼女が祈ると山が2つに割れ、テクラはその間を通って逃げることができた。この故事から、マアルーラの町の名は、この際の山の「割れ目」(アラム語の「マアラ」)に由来すると言われている。

 シリア内戦に関する報道全般がそうであるように、マアルーラにおける事件でも、政府と反体制派の主張は食い違っており、事実そのものが不透明なところもある。

 シリアの政府系新聞が、マアルーラ村へのテロリストの浸透を報じたのに対して、例えば、反体制派の自由シリア軍中央広報局のミスリー氏は、「(シリア政府は)シリアのマイノリティの恐怖を煽り・・・、シリア革命に対する西側世論の反感を高め、(シリアには)革命ではなくテロリストがいるとの念を広めようとしている」と対抗している。

 また、シリア反体制派の新議長であるジャルバ議長も、今回の事件が政府軍によって引き起こされたものであるとして、キリスト教関係者の理解を求めている。実際に、ある住民の証言によれば、政府軍が9月7日に到着したが、数時間しか村に滞在せず、反体制派が村に再突入することを許したとして、「軍は我々を裏切り、メディアに売ったのだ」との証言もある(9月18日付BBCニュース)。