マット安川 長崎への原爆投下日でもあるこの日。ゲストに戦中・戦後を知る横浜港運協会・藤木幸夫会長を迎え、現代日本に伝えなければならない、悲しい時代の生々しいお話をいただきました。靖国神社遊就館のお話では生放送にもかかわらず、思わず涙しました。
戦争を知らない人が多いというのは幸せなこと
横浜港運協会会長、藤木企業株式会社 代表取締役会長。 実業家として港湾産業の近代化に取り組み、また長く日本の港湾行政に携わる。(撮影:前田せいめい、以下同)
藤木 戦後68年、戦争を知らない人が多いというのは幸せなことだと思います。
戦争なんて知る必要はない。大東亜戦争はどうだった、第1次世界大戦はどうだったかなどは、記録もあれば歴史もあれば写真もある。戦争が悲惨だということはみなお分かりです。
私たちは2度と戦争をしてはならないということだけ、はっきり頭に入れておくことです。
もちろん、戦争に関心を持っていただくことは大事です。亡くなった人たちに対して、民族として申し訳ないという気持ちを持ってもらうことは大事です。亡くなった方たちのおかげでいま私たちは生きているんだと、この国が残ったんだという気持ちは持ってもらいたい。
靖国神社にいる人を大事にしていただきたいと本当に思います。遊就館には、少年兵の遺言書があります。2枚も読むと涙が出てもう読めない。あれを書いたのは俺だと、これが俺なんだという気持ちになってしまって。終戦の時、私は14歳でした。私も3~4日早く生まれていれば、靖国に行っていたと思います。
戦争の勇ましい話の陰には数多くの悲惨な出来事がある
戦争の勇ましい話をするのは気持ちがいい。勝っている話は。だけども勝っている陰には必ず悲惨な出来事がいっぱいあるんです。
私もいろいろ辛い経験をしました。昭和20年の大空襲では、友人の母親や妹が死に、それを私の手で火葬したんです。また、悲鳴を上げて焼かれて、あるいは川へ飛び込んで死んでいく、死屍累々の光景をこの目で見ました。
戦争と死体はつきもので、死体の話をするのはイヤです。そんなことを語れないし、話したくない。