今やらなければ、日本の農業が手遅れになります。だから、自分の会社のことをやっている場合ではないんです。日本の農業を5年で変えます。

 NPO法人「農家のこせがれネットワーク」代表・宮治勇輔に天命が下ったのではない。自ら天命を求め、自らに課したのだ。(文中敬称略)

1次産業をかっこよくて・感動があって・稼げる3Kに

みやじ豚・宮治勇輔氏/前田せいめい撮影宮治 勇輔(みやじ・ゆうすけ)氏
株式会社みやじ豚社長、NPO法人農家のこせがれネットワーク代表理事 1978年神奈川県藤沢市出身(撮影:前田せいめい)

 宮治は1978年、神奈川県藤沢市の養豚農家の長男として生まれた。4つ下の弟に「絶対に実家は継がないオーラが出ていた」と言われるほど、学生時代は家業を継ぐなど考えたことも無かった。農業に興味も無かった。父親から継いでほしいと言われたことも無かった。慶応大学総合政策学部を卒業すると、一般企業に就職した。農業のことが気になり始めたのは、社会人1年目の秋だ。

 宮治は「いつかは起業したい」という夢を胸に、毎朝5時半に起床し、出社前に会社近くのスターバックスで本を読み、勉強することを習慣にしていた。たまたま数冊の農業関連の本を読み、日本の農業の負の側面を突き付けられた。就農人口の高齢化。きつい上に稼げない、結婚もできない、だから後継者もいない。このままでは、日本の農業が廃れていく。

 そう思うと、「実家をなんとかしたい」「日本の農業をなんとかしたい」という思いがフツフツと湧いてきた。そして「1次産業をかっこよくて・感動があって・稼げる3K産業にする」という目標を定めた。とはいえ、もちろん、すぐに決断できたわけではない。「果たして養豚でメシを喰っていけるのか」「自分に豚のフンの掃除ができるのか」何度も自問自答を繰り返した。

価格決定権を生産者に取り戻す

ゆとりあるスペースで、同じ母親から生まれた兄弟だけで育てる「腹飼い」。ストレスフリーで伸び伸びと育った肉の味は格別(写真:みやじ豚提供)

 結局、4年勤めて会社を辞めて実家に戻った。宮治は、父親が生産する豚の味には絶対の自信があった。通常は20頭を飼育するスペースに半分の10頭しか入れない。しかも、同じ部屋で飼うのは同じ母豚から生まれた兄弟に限定する「腹飼い」という方法だ。広いスペースで、ストレスもケンカもなく伸び伸びと育てる。当然、旨い。

 しかし、そんなふうに独自のこだわりを持ち、コストを掛けて育てても、一般流通ルートに乗せれば他の豚と同じ価格だ。また、その豚を食べた消費者がどれほど美味しいと思っても、生産者にフィードバックする方法がない。生産者が手応え、やりがいを実感できる機会がほとんどない。