先ごろ、中国の北京と上海に出張する機会があった。北京一番の繁華街「西単」や上海のファッション街「淮海路」を歩くと、一瞬、原宿や渋谷にいるかのような錯覚にとらわれる。
パンク風でタトゥーを入れ、茶髪はもちろん赤や紫に髪を染めている若者もいる。服装は色とりどりで個性的。女性の化粧は、いま一歩、日本人には及ばないような印象だが、それでも以前の中国を知っている者にとっては隔世の感がある洗練ぶりだ。こうした若者たちは、「80后:パーリンホウ」とか「90后:ジューリンホウ」と呼ばれている。
パーリンホウは1980年以降に生まれた20~30歳の世代を指す。80年代は、文革といわゆる「四人組」の時代が終わり、鄧小平の改革開放政策が始まって、中国的「資本主義」が生まれた時代だった。
一人っ子政策、甘やかされて育った80后・90后世代
1979年からは「一人っ子政策」が始まり、大事に甘やかされて育った子供たちは「小皇帝」などと呼ばれていた。中国の経済成長とともに成長し、貧しさも苦労も知らないという点でそれまでの世代とは大きく異なる。
恵まれた経済環境、屈託なき消費への意欲、好奇心の旺盛さ、流行に敏感で伝統的観念にとらわれない反面、わがままで打たれ弱いとも言われている。小さい頃から日本アニメや漫画に触れ、日本ファッションや文化に抵抗がないどころか、非常に高い興味と関心を持っている。インターネットや携帯電話も自在に使いこなす。
実際、街で見かけた多くの若者は、携帯電話、それも多くがスマートフォンらしきものを持っていた。ネット市民と呼ばれるのは大半がこの世代である。
一方、ジューリンホウは、さらにもう1世代若い90年代生まれ。自由を謳歌し、我がまま気ままぶりは一段とパワーアップしている。彼らが生まれたのは既に改革開放政策が定着し、中国が「世界の工場」と呼ばれ始めた頃で、情報産業が急激に発展した時代でもある。いわば中国情報社会の申し子とも言える。
世界から注目される富士康事件、ホンダ事件は、こうした中国の「新人類」の世代が中国進出企業にとってのビジネスリスクになることを象徴的に示した事件と言える。