今日のロシアでは、日本製品は生活必需品と呼べるほど一般家庭に浸透している。だが、ほんの20~30年前はそれはほとんど手に入らない希少品で、日本ブランドの存在感はこの間に驚くほど劇的な変化を遂げた。

 本稿では、ロシアにおける「ニッポンの消費」の変遷を振り返ってみたい。

ソ連時代:途方もない高額品

 1980年代には、ソ連の市民はまだ「ブランド」という言葉を聞いたことがなかったが、既に「メード・イン・ジャパン」の家電製品を使っていた。当時、最も人気が高かったのはソニーとシャープのテープレコーダーやラジオで、知名度では劣るものの赤井電機も人気があった。

 いずれにせよ、こうした商品はどれほど人気があっても、ロシアその他の旧ソ連圏で買うことができなかった。

昔のレコーダーは大きかった(写真はWikipedia、By T.meyer

 税関の規則は今ほど厳しくなく、時折外国へ行くことがあったソ連人は最新の日本製ラジオを3~5個持ち帰った。忘れてはならないが、当時のラジオはまだかなり大きく、重かったから、大変な大荷物になった。

 何個かは親や親戚へのプレゼントで、1~2個は旅費の一部を埋め合わせるために転売された。

 だが、海外旅行は外交官や著名アーティスト、スポーツマンの特権だった。一般市民の間にも、専用小切手の額面の3倍の値段を払い、外国人向けの専門店「ベリョースカ」(ロシア語で白樺を意味する言葉)で買い物できる人がいた。ベリョースカでは、450ルーブル(当時の公定レートでは1ドル=1ルーブル)でソニー製のレコーダーを買うことができた。

 ソ連はまだ、いわば「階級のない社会」だったが、日本製のラジオやレコーダーを持っている市民と持っていない市民は別世界に属していると見なされていた。

 ちなみに、企業が外国市場に進出する時には、商品名を慎重にチェックすべきだということに我々が初めて気付いたのは、あの頃だったかもしれない。「シャープ」という言葉は、ロシア語で「貧弱(обшарпанный*1)」 を意味する言葉によく似た響きがあるのだ。

 最近、筆者は偶然、ブログで元ソ連軍兵士の投稿を目にした。アフガニスタンに駐留していたというこの元兵士は、1980年代後半に所属部隊が組織的に日本の家電製品と引き換えに兵器を売っていたことを振り返っていた。日本製の家電はそれほど貴重なものと見なされていたのである。

*1=カタカナで表記すると「アプシャーパニイ」だが、発音すると「シャープ」に近い部分が強調される