前々回(「班目氏が認めた事故対応の失敗」)、前回(「誤解して抜け出せなくなった班目氏」)に引き続き、3.11当時の原子力安全委員会委員長だった班目春樹氏(元東大教授)へのインタビューの模様をお届けする。
インタビューの直接のきっかけは、2012年11月、3.11当時を振り返った回顧録『証言 班目春樹』(新潮社)が出版されたことである。本書には、政府中枢で福島第一原発事故対応に関わったキーパーソンの証言として、非常に貴重な内容が含まれている。新潮社の説明によると、この本は班目氏の話を教え子である岡本孝司・東大大学院工学系研究科教授ら数人が聞いてまとめたものだ。著者は岡本教授になっている。
原発事故や住民避難対応の失敗について、班目氏にはバッシングに近い激しい非難が加えられてきた。だが、本人に取材して言い分や反論を聞いた報道がほとんどない。インタビューを通して、班目春樹・原子力安全委員長から3.11はどう見えていたのかを明らかにする。
(このインタビューは2013年1月11日午後、東京・矢来町の新潮社の会議室で行われた)
政治家から保安院のトップだと思われていた?
──ご著書の『証言 班目春樹』(新潮社)の中で、3月11日の21時に官邸に再び行かれた時に、平岡(英治)次長が「インチョウが来ました」と言うので「保安院長の替え玉にされた」と腹が立ったとお書きになっていますね。
班目春樹氏(以下、敬称略) 「それは私の生の記憶ではないんです」
──あれ、そうなんですか!
班目 「ただその時一緒にいた局長と誰かがそう言っているらしいので、多分限りなく本当のことだと思っています」
──本当に班目先生のことを寺坂保安院長だと言ってごまかそうとしたんですか?
班目 「そこは難しいのですが、政治家の方は組織全体をちゃんと理解していなくて、私が原子力安全委員長ということはよく分かっているが、それが保安院のトップであるとも誤解をしていたらしいです」
──へぇ? そんなものですか。
班目 「その辺はやはり複雑ですよね。保安院は経済産業省だし、安全委員会は内閣府で。しかも保安院の平岡次長が『それは安全委員長に聞いてください』というわけですから。あたかも(筆者注:原子力安全委員長が)平岡さんの上にいるんだと思いますよね」
──本来では保安院の仕事であるはずのものが班目さんにどんどん回ってくる。どう思われましたか。平岡次長も横におられたのですよね?
班目 「その部屋で武黒さん以外に分かるのは私しかいなかったので、それでは平岡さんに『お前なんかいらないから帰れ』とは言えないですよね。私は安全委員会に(福島第一原発の)図面がなかったので『とにかく保安院は図面を持って来てくれ』と、平岡さんに言い続けていたような気がします」