前回(「班目氏が認めた事故対応の失敗」)に引き続き、3.11当時の原子力安全委員会委員長だった班目春樹氏(元東大教授)へのインタビューの模様をお届けする。

『証言 班目春樹 原子力安全委員会は何を間違えたのか?』(岡本孝司著、新潮社、1470円、税込)

 インタビューの直接のきっかけは、2012年11月、3.11当時を振り返った回顧録『証言 班目春樹』(新潮社)が出版されたことである。本書には、政府中枢で福島第一原発事故対応に関わったキーパーソンの証言として、非常に貴重な内容が含まれている。新潮社の説明によると、この本は班目氏の話を教え子である岡本孝司・東大大学院工学系研究科教授ら数人が聞いてまとめたものだ。著者は岡本教授になっている。

 原発事故や住民避難対応の失敗について、班目氏にはバッシングに近い激しい非難が加えられてきた。だが、本人に取材して言い分や反論を聞いた報道がほとんどない。インタビューを通して、班目春樹・原子力安全委員長から3.11はどう見えていたのかを明らかにする。

(このインタビューは2013年1月11日午後、東京・矢来町の新潮社の会議室で行われた)

直流電源は生きていると誤解していた

──(前回掲載分のインタビューで)班目先生は、10条通報、15条通報を受けて何点か誤解し続けたとおっしゃいました。それはどういうことでしょうか。

(筆者注:原子力災害対策特別措置法の第10条通報が福島第一原発から官邸に来たのは3月11日15時42分。第10条は原子力防災管理者の通報義務を定めている。続いて16時45分に15条通報が来る。15条通報は全電源を喪失した、冷却不能になったことを知らせる緊急事態の通報。ここが住民避難の開始になるはずだった)

班目春樹氏(以下、敬称略) 「1つは、我々もそういう場合に調査員の方々を、緊急助言組織のために集めなければいけないのですが、それを一斉メールでやったところ届かなかったんです。私にメールヘッダーの一部が届くだけだった。だから通信網が途絶しているのではないかと思った。現地の免震重要棟と東電本店との間の情報回線が、非常に細くなっているのではないかと誤解した(注:実際はテレビ会議ができたくらいの回線があった)。現地に行って確認するまでずっと誤解し続けていました」

──菅(直人)首相と福島第一原発の視察に行かれた時ですね。

班目 「だから『現地は何かやっているのだろうが、保安院に入ってくる情報は非常にあやふやなものになっているのではないか』と思い込んでいました。あと『全交流電源喪失にはなってしまっているが、バッテリーはまだ生きている』と(誤解して)思ってるんです。『直流電源はある』と思い込んでいるんです。なんとなく『バッテリーは水をかぶっても水が引けば生きているだろう』と。だから『直流だけで、今しのいでいる状態だろう』となんとなく思い込んでいました」

──「なんとなく」とおっしゃるのは「根拠はないが、そう信じこんでしまった」ということですね。

班目 「それが2番目の誤解です。あといくつか誤解はありますが、そんなことから保安院も情報がなくて困っているだろうなとなっています」

15条通報は「念のためのもの」だと思った

──理解に苦しんだことを申します。「15条通報が来た」ということは「原発に電気が全く来なくなって、孤立している」ということですよね。ということは「冷やす手段はない → 炉心が溶ける事態までに進む」と15条通報の時点で想定できたのではないですか?

班目 「その時は直流電源は生きていると誤解していた。さらに、例えば1号機だったら自然循環でバルブの操作さえすれば、なんとか全交流電源喪失でもしのげるんですよ」

──1号機はそうです。でも、2~3号機はどうですか。