MRIC by 医療ガバナンス学会 発行

 昨年11月2日、『のぼうの城』という映画が封切られた。戦国時代末期、忍城(現在の埼玉県行田市)に対する水攻めを描いた作品である。

 攻めての総大将は石田三成。一方、籠城する城主は北条配下の成田長親。領民からは「でくのぼう」を略して「のぼう様」と呼び慕われていた。この「のぼう様」が石田三成に一杯食わせる。

 主人公を演じるのは、今をときめく能楽師の野村萬齋。大いに話題になっている。テレビ、新聞、雑誌でご覧になったかたも多いだろう。

 実は、筆者は6年前から週に1回、行田市内の中核医療機関である行田総合病院で外来診療を担当している。行田市には思い入れがある。

 埼玉県の医師不足の深刻さは、今や知らない人はいない。人口1000人当たりの医師数は1.4人。全国最下位で、南米チリと同レベルである。行田市が属する利根・二次医療圏に限れば1.1人。紛争が相次ぐ、中東と変わらない。

 現地で診察をしていても、医師不足を痛感する。筆者が専門とする血液悪性腫瘍の場合、常勤の専門医がいないため、抗がん治療を要する患者は他院に紹介することが多い。

 深谷赤十字病院、埼玉医大、自治医大さいたま医療センター、さいたま赤十字病院などが紹介先の候補となるが、満床のことが多く、東京の専門病院にお願いするのも珍しくない。

 都内と行田市で診療していると、「これが同じ国か」と思うことがある。厚労省は「国民皆保険堅持」をうたうが、行田市では国民皆保険は実質的に崩壊している。なぜ、行田市は、こんなに酷い目にあっているのだろうか。

 実は、戦国時代から幕末まで行田は地域の中核だった。例えば、幕末、忍藩の所領は10万石で、埼玉では最大の藩だった。

 藩主は譜代の松平氏。祖先は徳川家康が武田勝頼と戦ったとき、長篠城を死守した奥平正信である。名門の家柄だ。藩内には進修館という教育機関があり、多くの有為な人材を輩出したという。