本稿がJBpressに載る頃には、アルジェリア人質事件の全貌が明らかになっていることと思うが、昨年の中国での反日デモによる経済的な被害とともに、この事件は海外における日本企業のリスクを強烈な形で認識させる事例となった。
企業が海外の進出先で抱えるリスクは、今回のような治安情勢の乱れによる現地勤務者の人質事件から、企業の財産に毀損を生ずる経済的な被害、そして、企業活動そのものへの現地政府の圧力など、リスクは多岐にわたる。
今後、日本企業は海外における事業リスクをあらゆる面から評価し、採算性以上に安全面での確認が取れない限り、簡単に海外進出などできなくなるだろう。
全く報道されないアルジェリアとロシアの強い関係
ところで、今回の事件を契機にアルジェリアの内情に初めて触れた、という方も多いと思う。新聞・テレビの論評や安倍晋三首相の電話会談などを通して、アルジェリアとフランスのつながりの濃さを理解された方も多いと思う。
しかし、この北アフリカの国がいかにソ連、そして現在はロシアと深く結ばれているのか、という点については、メディアでもあまり取り上げられていないので、本欄をお借りして簡単に触れてみたい。
1970年代、80年代に対ソビジネスに従事された商社マンの中には、モスクワからアルジェリアにずいぶん出張したという経験を持つ方がおられる。実はそれくらいこの2国は関係が深い。その理由はどこにあるのか。
ことの始まりは、アルジェリアの独立戦争(1954~1962)をソ連が軍事を含むあらゆる側面から支援したこと。もちろん、その理由はアルジェリアが社会主義国家をつくろうとしたからであった。
戦争の結果、アルジェリアは1962年にフランスから独立を果たし、1963年にはソ連との間で科学技術協力協定を結び、ソ連は以後、本格的にアルジェリアとの親密な関係に入る。
ところで、この科学技術の対象であるが、アルジェリアをあらゆる角度から調査したソ連は、この国がガスと石油を中心とするエネルギー資源の国であるという結論に達する。そして、ガス・石油掘削に関するソ連の経験、技術を惜しげもなくアルジェリアに与えた。
また、民族友好大学(通称ルムンバ大)に多くの留学生を受け入れ、人材の養成に努めた。その結果、アルジェリア政府にはロシア語を自由に使える人たちが多くいて、我々商社の人間はロシア語でビジネスを進めることができた。
国家経営という面から見ても、アルジェリアはソ連の産業構造に近く、ソ連政府はソ連対外経済協力国家委員会を通してアルジェリアの国造りを長期の融資を通して手伝うことになる。