ノーベル賞を2回取った男、ジョン・バーディーンについては「本物の天才」「素晴らしい人格」といった賞賛が、没後20年以上経った現在も数多く寄せられます。しかし、優れた仕事をした人を天才として奉ることは、かえってその意思を損ねる場合があるように思うのです。
今回はバーディーンのトランジスタ開発物語的な話を書くつもりですが、関連の話は本も膨大な数出ており、多くのホームページにそれらしい話は出ています。
そこでここでは思い切って、物理を学んだ音楽家の私が、先入観と独断と偏見に基づいて好き勝手なことを書きますので、「内容が史実として合っているかどうかの保証は一切ない」と先にお断りして話を進めたいと思います。
ただ、これはでたらめという意味ではありません。
私自身あまり出来は良くありませんでしたが、固体物性と数年関わり、超伝導の実験にもしばらく携わった個人として、大好きなバーディーンにこんなイメージを持っている、ということでご理解いただければと思うのです。
現象論の強み
最初に強調しておきたいのは、バーディーンの仕事は徹底して「物理」だということです。どういうことかと言うと、理論物理にはしばしば、物理なのか数学なのか分からないモデルがあるんですね。
S・ホーキングの量子宇宙なんてものは、観測にかかる範囲は科学ですが、そうでない部分はSFとあまり違いがありません。
ノーベル賞はそういう理論にあまり興味を示さない。そうではなく、現実にあるものを記述し、そのメカニズムから未知の現象を予測して実証、それが人類に役立つ、といった質実剛健を尊びます。
私が「現象論」を贔屓して、あまり思弁的な物理に難色を示す1つの理由は「オウム真理教」にあります。私の物理学科の同級生、豊田亨君がオウムに拉致洗脳され、地下鉄にサリンを散布して死刑が確定してしまった事情などは、このコラムの読者の皆さんはよくご存じと思います。
彼が追い求めた「大統一理論」GUTと言いますが、こういうものは、宇宙を記述する究極の理論然としていて、格好いいと言えば格好いいのですが、気宇壮大はよしとして、実証科学とあまりかけ離れてしまうと、どこかサイエンスとして健康でない部分が出てきてしまう。
実際、正味のオリジナル業績なしに、既存の仕事のレビューしか修士論文で書かせてもらえなかった豊田君は、あるむなしさを抱え、その虚を突く悪質な宗教カルトによって、マインドコントロール・洗脳されてしまいました。