「なでしこジャパン主将が語る、『世界で勝つ』とは」、
「海外で揉まれて強くなる~語学とフィジカル」から続く。
なでしこジャパンが世界ランキング5位(2010年5月時点)に至るまでには、厳しい時代を経験している。
1994年に、それまでの日本女子サッカーリーグ(JLSL)から「Lリーグ」に名称変更した頃には盛り上がりを見せたものの、1996年のアトランタ五輪で惨敗し、観客数は減る一方。バブル崩壊により、いくつかのチームは廃部を余儀なくされた。
加えて、2000年のシドニー五輪出場を逃したことで、日本女子サッカーの人気は急低下してしまった。
平田さんがサッカー協会専務理事に就任したのは2002年であり、男子サッカーが日韓W杯で盛り上がりを見せるのとは裏腹に、女子サッカーにとっての試練の時代だった。
そこで平田さんは女子サッカー発展のために「2004年のアテネ五輪に絶対出場」を目標に掲げ、まずはアテネ五輪アジア予選を日本に誘致した。アテネ出場権をかけた2003年4月24日(土)の北朝鮮戦を観客が来やすい国立競技場で開催し、地上波(テレビ朝日)で初めて全国生中継した。
この視聴率は16.3%を記録し(最大瞬間視聴率31.1%、同時間の巨人阪神戦が11.3%)、これが女子サッカーの普及に大きく貢献することとなる。
そのほか、ハロプロなどの協力も得て芸能人フットサルリーグを仕かけるといった平田さんの秘策の数々が、なでしこたちをピッチの外から支えた。
最終回となる第3回では、北京五輪でベスト4を達成したなでしこジャパンの次なる目標について、女子サッカー普及の“同志”2人が熱く語る。(編集部)
年 | 開催地 | 本大会出場 | 成績 |
---|---|---|---|
1991 | 中国 | ○ | グループリーグ敗退 |
1995 | スウェーデン | ○ | ベスト8 |
1999 | アメリカ | ○ | グループリーグ敗退 |
2003 | アメリカ | ○ | グループリーグ敗退 |
2007 | 中国 | ○ | グループリーグ敗退 |
2011 | ドイツ | ○ |
年 | 開催地 | 本大会出場 | 成績 |
---|---|---|---|
1996 | アトランタ | ○ | グループリーグ敗退 |
2000 | シドニー | × | 不参加 |
2004 | アテネ | ○ | ベスト8 |
2008 | 中国 | ○ | ベスト4 |
2012 | ロンドン |