今年9月、政府は「2030年代に原発稼働ゼロを可能とするよう、あらゆる政策資源を投入する」との目標を掲げた「革新的エネルギー・環境戦略」を決定した。

 「原発稼働ゼロ」の看板を掲げる一方で、使用済み核燃料の再処理事業を継続し、また工事が中断している大間原発と島根原発3号機の建設再開・稼働を容認するといった多くの矛盾点があり、実行可能性にもはなはだ疑問が残る。

原発ゼロで産業空洞化が加速

 原発事故に対する国民の不信は強い。だからといって原発を止めれば国民の安全と安心が確かなものになるとは言えない。

 脱原発により化石燃料の輸入増と自然エネルギーの急拡大に伴うコスト増は産業の競争力を失うのは明らかだ。電力料金は約2倍に値上がりするという。大多数の中小企業は経営が成り立たず、産業空洞化は加速するだろう。

 燃料費は例年より3兆円増え、貿易収支は1.1兆~2.8兆円悪化する。国内総生産(GDP)は2.3兆~15.3兆円押し下げられ、就業者数も46万人減少するという(経産省推計)。これで国民の安全、安心が確かなものになるとはとても思えない。

 エネルギーは国家を支える最も重要なインフラであり、楽観論や期待感で政策を決定するのは絶対避けねばならない。「国民にとって不幸なシナリオ。先の分からないものを感覚的な判断に求めるべきでない」と長谷川閑史経済同友会代表幹事が語る通りだ。

 選挙を意識したとはいえ、国策を180度転換する重い決断を、衆知を集めた慎重な検討もないまま拙速に下したのは、大局を見失った政権与党の無責任さだと非難されても仕方があるまい。

 脱原発を支持する某新聞は社説でこう述べた。

 「国民が原発との決別を望んでいることは疑いのない現実」「ゼロというゴールは、曲がりなりにも示された。意見聴取会やパブリックコメントなどを通じて、国民の過半が選んだ道である。もちろん、平坦ではない。消費者も、電力に依存しすぎた暮らし方を変える必要に迫られている。だが、私達には受け入れる用意がある」

 本当にそうだろうか。世論調査では国民の多くが脱原発を望んでいるようだ。だが脱原発を望む国民が、脱原発による負担とリスクを十分に理解したうえで覚悟を決め、「決別を望んでいる」とは思えない。

 原発をゼロにするには再生エネ拡大に約50兆円、省エネに約100兆円を要するという。GDPは50兆円近く落ち込み、失業者も200万人増加するという見積もりもある。これらを果たして「受け入れる用意がある」のか。思いをめぐらせていると、ふとデジャブ(既視感)を覚えた。