宮崎県で発生した家畜の伝染病・口蹄疫の感染拡大が止まらない。防疫対策が功を奏して、1日でも早く終息宣言が出されることを願っているが、今後どのような展開をみせるのかは誰にも分からないというのが現状だと思う。

 私は1990年7月から2000年2月までの10年半、埼玉県にある大宮食肉荷受株式会社(現さいたま食肉荷受)で作業員として働いた。主に牛の屠畜解体作業に携わり、ナイフを握って牛の皮を剥いていた(その時の経験は『牛を屠る』〈解放出版〉に詳しい)。

今回のウイルスは10年前とは桁違いの感染力

 私が在職中の97年に台湾で豚に口蹄疫が発生した。感染は瞬く間に台湾全土に広がり、病死および殺処分された豚の総数は400万頭に達した。

 当時、台湾産の豚は日本にも数多く輸出されていた。そのため口蹄疫の発生がニュースで報じられるやいなや、輸入豚肉の品薄を見込んで、国内産の豚肉相場が急上昇した。おかげで高値のうちに売ってしまおうという養豚業者が豚を大量に持ち込んで、我々は連日遅くまで働かされた。

 私はその時初めて口蹄疫というウイルスの存在を知った。また屠畜場の検査員による講習会も開かれて、空気感染により広い地域に飛散し、動物の体外に出た後も強い感染力を維持して甚大な被害をもたらす口蹄疫ウイルスの実態に恐怖を覚えた。

 宮崎県では2000年にも牛に口蹄疫が発生している。幸いにもウイルスの感染力が弱く、その時は3例の発症と35頭の殺処分で収まった。

 ところが今回は10年前とは桁違いの感染力を持つ口蹄疫ウイルスが蔓延し、被害がどこまで拡大するのか、まさに予断を許さない状況である。

 人間への感染がないことから、消費者の反応は病原性大腸菌「O-157」や「BSE(牛海綿状脳症)」が発生した時に比べるとかなり冷静なように見受けられる。ただ、このまま口蹄疫の流行に沈静化の兆しが見えなければ、また違った反応が起きてくる可能性は否定できない。

 4月20日に口蹄疫が初確認されて以降、マスコミは連日のように口蹄疫に関する報道を行っている。そうした報道ですでに十分な情報が提供されているが、本コラムでは、屠畜場作業員としての経験を交えながら、畜産農家が置かれた状況や行政の防疫対策について、いくつか付言をしてみたいと思う。

あれだけ手塩にかけて育てれば「無念」は当然

 まず最初に言っておかなければならないのは、畜産農家が担っている労働の過酷さについてである。

 我々屠畜場の作業員は基本的にカレンダー通りの勤務で、週休2日。お盆と年末年始には数日の休みがプラスされていた。それに対して、畜産農家は1年365日、まさに働き詰めである。