今や日本中至る所で世界の名画が見られる。著名な画家の作品が見られる企画展ともなると、各種PRの効果もあって人々が大挙押しかけ、列をなして一定のペースで鑑賞させられることになる。

有名絵画を熱心に収集するアフリカ、アジアの小国

企画展、常設展ともに充実している国立西洋美術館(上野)は建物そのものも魅力だ

 一枚一枚味わっている余裕などなくなってしまうのは困りものだが、「本物」を見ようという意欲がその不満さえも吹き飛ばしてくれる。

 どんな国にも、大なり小なり美術館はある。その国の文化史を辿るにはもってこいのところだが、アフリカやアジアの小国でも、ヨーロッパの有名画家の作品が多数展示されていることが少なくない。

 国民に「本物」の芸術を見せようとする精神は素晴らしいものだが、財源に乏しい発展途上国が推定数百万から数千万もするような作品を保有することに、一体どれだけの意味があるのかは疑問である。

 これだけのものを持っている立派な国なのだというPR?

 いや、かつての宗主国がその地のエリートに対して行った「啓蒙」の結果なのかもしれない。しかし、庶民にとっては美術品などより日々の糧の方が遙かに重要だ。

モヘンジョダロ遺跡から多くの発掘品を持ち出した近隣住民

モヘンジョダロの遺跡

 パキスタン南部に位置するモヘンジョダロは、4000年以上前にして既に上下水道が完備されていたという古代インダス文明の貴重な遺跡だが、管理が手薄なこともあって、多くの発掘品を近隣住民たちが持ち帰り自分の家の建材として使ってしまっている。

 しかし、パキスタンの片田舎に住む貧困層の家を取り壊してまでその返却を要求することもなかなかできず、そのままになってしまっている、と遺跡ガイドがあきらめ顔で語っていたことを思い出す。

 現在タイで起こっている暴動でも、ドサクサに紛れて商店から略奪を繰り返す住民たちの姿がテレビに映し出されているが、米国が侵攻したイラクでは、バグダッド博物館から歴史的価値の高い発掘品を持ち出そうとして捕まった戦争ジャーナリストもいた。

 このように、世の混乱に乗じて金銀財宝をちゃっかり頂いてしまおうという輩は、いつの世にもいるものだ。