前回に続いて、福島第一原発事故の放射能雲の下にいた住民の取材結果を報告する。

 放射能雲が通ったせいで、放射性降下物が降り注ぎ、村民6000人が全村避難することになった飯舘村も、南部3分の1が汚染地帯になった南相馬市も、福島第一原発事故以前は、避難訓練はおろか避難の計画すらなかった。そんな話を前回書いた。

 そうした避難計画や訓練を施す「原子力災害対策特別措置法」上の「EPZ」(Emergency Planning Zone)が「原発から半径8~10キロ以内」しか想定していなかったからだ。飯舘村や南相馬市は原発から10キロ以上遠かったから、その「万一の場合に備えておく区域」に入らなかったのだ。

 では、その「EPZ」の内側はどうだったのだろうか。どんな避難計画や準備、訓練が行われていたのか。

 そこで話は今回の舞台、福島県双葉郡富岡町に移る。富岡町は、福島第一だけではなく、福島第二原子力発電所を中心とするEPZの中にも入る。2つのEPZが町内で重なっているのだ。つまり「原発を2つ抱える町」とも言える。

 そこなら、万一の時に備えた訓練や計画があったのではないか。それを確かめるために、富岡町の遠藤勝也町長に話を聞きに行った(2012年1月11日)。

避難ではなく「脱出」だった

 とはいえ、まずは富岡町役場がどこに移転したのか、探さなくてはいけなかった。町全体が避難しているから、もう富岡町にはない。町長もいない。結局、福島県南部、郡山市の街外れに役場が移転したことが分かった。

 福島市から車を1時間運転して行ってみると、郊外の幹線道路沿いにプレハブ2階建ての仮庁舎があった。まるで工事現場の事務所のようだった。

 その2階の執務室で、遠藤勝也町長と向かい合った。どっしりした貫禄。黒いスーツ。いかにも「町長さん」という感じの男性だ。

──去年の3月11日直後、国や県から避難の指示はありましたか。

 「県の避難指示ですか? あれは災害対策本部でしょうか。1回だけ防災電話にかかってきた。『川内村が避難先です』と。それだけです」

──国は何か「どちらの方向に避難せよ」とか言ってきましたか。