日本が品質立国としての栄華を誇る時代は終わった。

 今後、勢いに乗る新興国を追いかけるための新たな挑戦に臨むのか、それとも老いる先進国の一員として既存資産を有効活用しながら生き延びるのか、早晩私たち自身が選択しなければならない。

 そもそもトップの意思決定によって行う大胆な "改革" が苦手な日本企業においても、これまでは非常に優秀な現場の努力と工夫によって自律的に行われる“改善”で成果を上げてこられた。

 その「お家芸」であったはずの改善を、もし国際規格という外圧で、いわば押しつけられることになるとしたら、青天の霹靂とも言うべき展開だ。

 日本企業にとって今後海外からの新たな取引条件として大きな負担を強いられかねない状況にあるとも言える。

 さらに我が国には、個人資格取得偏重とも言うべき考え方が生み出すさまざまな誤解が実践の妨げになっているという皮肉な側面も見られる。

 例えばシックスシグマ活動の実行リーダーの肩書きは「ブラックベルト」と呼ばれており企業や国が資格認定を行うのだが、ブラックベルトという資格が取れればうまくいくかというと、それでは成功しない。

 最近国内で流行っているQC検定でもしかり。本来、組織的に行う改善には活動の場となる組織体が必要であり、個人1人の力だけでは成果が出せないからだ。

【図4】改善活動が衰退する背景(製造業の場合)
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 このような改善に対する捉えられ方の変化により、経営品質向上の努力を社員の善意としてではなく、業務として行う時代となったのである。

 特に工場の生産現場のように、今や多様な雇用形態、人種、言語が入り乱れる現状において、自発的な問題解決を求めることは非常に困難である。そこでシステマチックな改善活動が行える仕組みを用意して、実行リーダーを中心に課題解決チームが活躍できる環境を整えなくてはならない。

 いうならば、従来は当たり前だった改善活動を、今や経営努力で行わなければならないほど追い詰められているのだ。

 戦後の焼け野原から復活を遂げる原動力であった「日の丸ものづくり」は、高い志に支えられた社員たちの克己心によって成し遂げられた大きな資産である。

 その流れがついえてしまうことは非常に残念なことなので、なんとしても避けなくてはならない。しかし、この20年もの経済的な停滞が日本人から競争力の源泉となる "向上意欲" を奪ってしまったようにさえ見える。