日本経済は「成長」を放棄できるのだろうか。「成長」を巡る論議が静かに始まっている。これまで通り成長を追い続けるのか、それともゼロ成長の中での充実を目指すのか、という議論だ。
言うまでもなく、日本の経営は成長を目指してきた。焼け野原から始まった戦後の日本経済は、「追いつき追い越せ」を暗黙のスローガンとして掲げ、アメリカをはじめとする西欧諸国の経済水準を追いかけてきた。
追いつき追い越すには成長こそが絶対条件であり、成長の2文字が今日の日本経済をつくりあげた原動力でもあった。その成長を見直すということは日本経済の現在の仕組みを見直すということであり、成長の放棄は現在の仕組みの放棄に他ならない。
それは、かなり難しいことである。日本の経営では、成長を見直したり放棄したりという考えは薄く、どうやって成長を守るかという発想の方が圧倒的に強い。まだまだ、追いつき追い越せの時代が続いている。
原発事故で顕在化した「もう成長はいらない」の声
そのことは、東京電力福島第一原発事故でも明らかになった。
2012年1月5日に経団連(日本経済団体連合会)、経済同友会、日本商工会議所の経済3団体は新年祝賀パーティーを開き、その後に記者会見を開いた。そこで経団連の米倉弘昌会長は、一刻も早い原発再稼働を求める米倉会長や経団連への批判も強いためか、安全性に触れはしたものの、結局は「成長に見合ったエネルギー政策と環境政策を合わせて解決していくべきだ」と主張した。
成長に見合ったエネルギー供給を優先すべし、ということだ。遠まわしに原発の再稼働を求めているにすぎない。
その前提には、成長がある。これを機会に成長のあり方を見直そうという姿勢はない。「成長は揺るぎのない原則だ」と、改めて表明したようなものである。
成長の見直し、あるいは放棄の論も、原発問題で弾みがついた。成長を続けるには、コストを抑えながら電力供給を増やしていく必要があるからだ。