会社の派閥、あるいは敵対する組織でも構いませんが、とにかくぶっ潰したい、しかし自分と互角以上、あるいははるかに強大な敵がいるとします。
相手が強大なため、あなたは現在、彼らに服従する立場に甘んじているとしましょう。甘んじている理由は、まともにぶつかっても勝てるとは限らない、むしろ、負ける確率が高いからです。
陰謀の情報は準備段階で相手に漏れるもの
マキァヴェッリというと、権謀術数を連想する方は少なくありません。権謀術数のイメージからマキァヴェッリは陰謀家のように見られることもあります。
しかし、マキァヴェッリは「陰謀」(ここでは、君主を陥れ、政権を転覆させること)は原則として勧めていません。
マキァヴェッリが、自分が権謀術数の士と見られたくなかったからというわけではありません。陰謀を勧めないのは、成功させるのが極めて難しいからです。まず仲間を募る際に、陰謀をやろうとしていることを打ち明けると、たいてい情報が漏れて準備段階でやられます。
次に秘密が漏れなかったとしても、陰謀のような大きな仕事を確実に進められる人はそう多くありません。実際に戦う段になると、ビビってしまって十分な働きができないことが多いのです。
以前、この連載でパッツィ家の陰謀を紹介しました。マキァヴェッリはパッツィ家の陰謀を、陰謀に参加する人が多数いたにもかかわらず、実行するまで発覚しなかった希有な例だとしています。
しかしこれにしても、暗殺の実行者が攻撃の直前に「死ね!」とつぶやいたため、刺客に気がついたロレンツォ・デ・メディチは難を逃れることができました。暗殺に手慣れた者なら無言でブスリとやるところでしょうが、そんな人はいなかったのです。
「傭兵をしてやるからカネを寄こせ」と迫ったチェーザレ
では、どうすればいいのか?
陰謀を企てて攻める側、攻撃を受けて守る側、どちらにとっても参考になる事件を、マキァヴェッリは直接自分の目で見る機会がありました。
この事件をチェーザレ・ボルジア(1475~1507年、マキァヴェッリより6歳年下の軍人)がどう処理したかを身近に見る機会を得たことが、マキァヴッェリをマキァヴェッリたらしめたと言っても過言ではない事件。それが「マジョーネの乱」と呼ばれる事件です。
チェーザレがロマーニャ地方を攻めたのは、マキァヴェッリがフィレンツェの第2書記局長になって3年目のことでした。