この世には、理不尽なことがたくさんあります。例えば、権力や暴力を笠に着てむちゃくちゃをやる者。こうした者に魅入られたりしたら、道理もへったくれもありません。暴力も権力も持たない者は、泣き寝入りするしかありません。場合によっては、ストレスで病院に担ぎ込まれたり、命をなくしかねないこともあるでしょう。
しかし、理不尽な相手と戦ったら本当に負けるだけなのか、戦った場合、勝てる可能性はないのかを検討する価値はあります。そうした検討を行い、活路を見出したのは、日本では織田信長が代表例だと思われます。桶狭間で戦う決断をしなければ、信長はほぼ間違いなく今川義元に勝てなかったでしょう。
「運命は女神だから、彼女を征服しようとすれば、打ちのめし、突き飛ばす必要がある。運命は、冷静な行き方をする人よりも、こんな人の言いなりになってくれる」
(『君主論』池田廉訳、中公文庫)
メディチ家の兄弟暗殺を企てたパッツィ家
マキァヴェッリが10歳の頃、ヨーロッパ世界を震撼させる事件がフィレンツェで起きました。「パッツィ家の陰謀」と呼ばれる事件で、カネの恨みが戦争にまで繋がった事件です。
当時の教皇、シクストゥス4世は、本名をフランチェスコ・デッラ・ローヴェレといいます。庶民の出で、勉学にいそしんで教皇まで上り詰めた人でした。
自分が死去した後、デッラ・ローヴェレ家が再び庶民になってしまうことを避けたかったシクストゥス4世は、自分が生きている間にデッラ・ローヴェレ家を君主の家系にしたいと考えました。そこで、フィレンツェの東にある都市、フォルリを購入して、甥のジロラモ・リアリオを君主にしようともくろんでいました。
そのためにフィレンツェの支配者であったロレンツォ・デ・メディチに借金を申し込みますが、断られます。ロレンツォは、フィレンツェ近郊に強欲な教皇の意のままになる国ができることを望まなかったのです。そして同じフィレンツェの有力な商人たちにも「教皇に金を貸すな」と言い含めていました。