世界的な鉄鋼メーカー、ポスコの事実上の創業者で韓国では首相も歴任した朴泰俊(パク・テジュン)ポスコ名誉会長が2011年12月13日、84歳で死去した。

 日本留学、終戦、軍事クーデター、ポスコ設立、政界、日本への亡命、首相就任・・・。韓国では「鉄鋼王」と呼ばれる朴泰俊氏の生涯は韓国現代史と戦後日韓関係史そのものだった。

韓国政財界の大物がしのんだ「鉄鋼王」の死

朴泰俊(パク・テジュン)氏  1927年、慶尚南道生まれ。戦前に日本に渡り、早稲田大学で機械工学を学んだ。帰国後、48年陸軍士官学校卒。61年の朴正熙(パク・チョンヒ)氏らによる軍事クーデター後の「国家再建」に加わった。68年、浦項総合製鉄(現ポスコ)初代社長に就任し、92年まで経営を陣頭指揮した。81年に国会議員に初当選。2000年には、4カ月間、首相を務めた。

 死去翌日の韓国紙はそろって1面トップで「鉄鋼王の死亡」を伝えた。14日には、遺体が眠るソウル市内の延世大学病院に李明博(イ・ミョンバク)大統領が訪れ、30分以上も故人をしのんだ。

 この日は、全斗煥(チョン・ドファン)元大統領や大勢の国会議員、政界関係者のほか、財閥総帥など経済界からも続々と弔問客が詰め掛けた。

 サムスングループの李健熙(イ・ゴンヒ)会長の長男である李在鎔(イ・ジェヨン)サムスン電子社長は「スティーブ・ジョブズ氏がIT業界に残した影響や貢献よりも、朴泰俊会長が韓国の産業界や社会に残した功績の方が何倍も素晴らしいものだった」と語った。

 筆者は何度も朴氏の自宅やオフィスを訪問して長時間話を聞いたことがある。怖い顔つきだがいつも目は優しく、どんな質問にも嫌がらず、丁寧に答えてくれた。ところが2回、ものすごい怒鳴り声を目の前で聞いて震え上がった記憶がある。

 1度目は2002年の8月末。何気なく「○○さんがお亡くなりになりましたね」と言った時だった。通商産業省の重工業局長から大手メーカー副会長、政府機関理事長などを歴任した大物官僚OBのことだ。

 「えっ!」。朴泰俊氏の顔色が見る見る変わった。「いつですか! 本当ですか!」。大声で筆者を問い詰めると、すぐにポスコの役員を電話で呼び出した。

天井が落ちるような怒鳴り声に震え上がった思い出

 「○○さんがお亡くなりになったのを知っているか。えっ、聞いていない? なんだとー! キミは役員失格だ! ○○さんはポスコの大恩人だ! 何をしているんだ!」

 天井が落ちてくるのではないかと思えるほど、太く大きな怒鳴り声が応接室に響きわたった。

 あまりの剣幕に声も出なかった筆者に朴泰俊氏は、ひと言ひと言かみ締めるように、この大物官僚OBとの縁を話し始めた。