対外拡張期にある国家は、まさにその拡張を正当化するシンボルを必要とする。歴史から光を照射し、現在の拡大を正当化してくれる象徴的人物を求めたがる。

 それが、インドに ‘neo-Curzonian' という考えが生まれた理由であり、中国人の子供たちがみな、鄭和なる人物を英雄と仰ぎ見る背景をなす。

「新カーゾン流」とは?

人口問題、故毛沢東主席の「秘策」

1973年、中国の故・毛沢東国家主席と握手するヘンリー・キッシンジャー元国務長官(当時は大統領補佐官)〔AFPBB News

 まずインドから眺めることにしよう。今カッコでくくったネオ・カーゾニアンとは「新カーゾン流」という意味で、ここに引かれたカーゾンとは、19世紀末から20世紀初頭にかけインド総督の地位にあった侯爵 George Curzon を指す。

 1909年の演説で、カーゾンはこう言ったという――。

 「西に向いては、インドはペルシャとアフガニスタンの運命に圧倒的影響力を行使せねばならない。北方において、インドはチベットに台頭するいかなる対抗勢力をも拒絶することができるのだし、北から東の方面においてなら、シナに対して大いなる影響を及ぼすことができるのだ」

 調べた限りでは、かのヘンリー・キッシンジャー氏がカーゾンのこうした発言を引っ張り出し、現代インドの役割に引きつけ初めて言及した。次いで1998年から2002年までインド外相を務めたジャシュワント・シン氏も、同様の見方を示したという。

 これらを捉え、インドに根づき始めた拡張主義――なかんずくインド洋全域はもとより中東・アフリカから南シナ海までを勢力範囲とみなそうとする水平的拡大の風潮を指して、‘neo-Curzonian' 思想だと呼ぶ者が現れたのである(例えばインドを代表する論客の1人 C. Raja Mohan)。

インドは南シナ海を守備範囲に

 前々回本欄はインドの地政学的発想を話題にし、あの巨大な国が、中国によって四方を包囲されつつあるかに感じていることを紹介した。

 何をどの程度の脅威ととらえるかは、自我認識の規模や範囲に応じて変化する。自己を卑小にとらえる者は加わる脅威も過小に見、その逆がまた真なのだとすると、インドは由来、自我意識の及ぶ地理的範囲が広い。その程度たるや、恐らく日本にいる我々が想像してきた以上である。だからこそ、中国の浸透にそれだけ神経を尖らせるのであろう。

 これは故ないことではない。

 地図でインド洋を眺めて面白いのは、ミャンマー、タイ、マレーシアそれにインドネシアが、いずれもインドにとって直接の隣国に当たることだ。マレー半島の西方洋上をアンダマン諸島とニコバル諸島が北から南へ縦列し、これがすべてインド領だからである。排他的経済水域もそれだけ広い。