「本流トヨタ方式の土台にある哲学」について、「(その1)人間性尊重」「(その2)諸行無常」「(その3)共存共栄」「(その4)現地現物」という4項目に分けて説明しています。
前々回からは「(その3)共存共栄」を取り上げ、企業と利害関係者との関係についてお話ししています。「共存共栄」は本流トヨタ方式における根幹を成す考え方なので、じっくりと時間をかけて説明していきたいと思います。
前回は、共存共栄する相手を4つのグループに分類し、取り組むべき優先順位を本流トヨタ方式では以下のように考えているとお話ししました。
<第1優先> 商品を買っていただき、お使いいただくお客様
<第2優先> 仕入れ先関連、地域住民・行政関連、自然環境関連
<第3優先> 従業員関連、関連子会社関連
<第4優先> 株主・投資家関連
このように、お客様を相手にどのように取り組むかを考えるのが、最優先事項となります。ただし、お客様を相手に企業がどのように取り組むかを調べると、「品質第一で取り組む」と表明している企業と、「お客様第一で取り組む」と表明している企業、の2種類があることが分かります。
これらは一見同じように見えますが、よく考えてみますと大変な違いがあることが分かります。「品質第一」は、企業側が決めた品質基準を維持し、それを客に押しつけることを意味します。一方、「お客様第一」は、お客様の満足を得るために品質基準を変えていくことを意味します。
以前のコラムでお話ししたように、1985年頃、当時の豊田章一郎社長が、「品質第一」の取り組みを「お客様第一」の取り組みにする改革を行いました。客観的データとして米国の市場調査・コンサルティング会社、JDパワーの顧客満足度調査を使うなどして、トヨタの評価が向上したというお話をしました。
それから四半世紀が経ち、今回の一連の不祥事が起きました。豊田章男社長は、いつの間にかトヨタは元の「品質第一」の体質になってしまっていたことが原因だと判断し、「原点復帰、お客様第一」を目指すと発言しました。実父の章一郎氏がやったのと同じように、「品質第一」を「お客様第一」にする改革を実施しようとしているのです。
80年代に北米市場で地歩を固めていったトヨタ
章男社長が米国議会の公聴会で証言を迫られ、そのシーンが繰り返しテレビで放映された時は、OBとして大変残念な思いをしました。
今回は、このシーンとは対照的とも言える、30~20年前に本流トヨタ方式が真っ盛りであった頃の体験談をお話しして、今のトヨタが還るべき原点を示したいと思います。
70年代後半になると、トヨタ車は安くて故障せずによく走る車だと北米市場で評価され、よく売れるようになりました。そこでトヨタは、豊橋港の向かい側に、専用の車両輸出港を備えた「田原工場」を建設し、79年から「カローラ」と小型トラックの「ハイラックス」の生産を始めました。
81年には田原第2工場を建設し、「ソアラ」「セリカ」「スープラ」の生産を始めました。ちなみに筆者は、第2工場の組立課長に就任しました。新工場で生産した車は売り上げ好調な米国に輸出され、生産が間に合わないほどになってきました。そこで第3工場を建設することになったのですが、柱を数十本立てたところで、急遽建設中止となりました。