高度成長華やかなりしかつての日本、昭和30年代=1950年代後半、日本でもてはやされた「三種の神器」という言葉があったのはよく知られていると思います。
具体的には「白黒テレビ」「電気洗濯機」と「電気冷蔵庫」という3つの電化製品がこれに当たります。
「戦後の高度成長」を語るうえで、しばしば意外なほど語られないのが、こうした新しいイノベーションが、どれくらい露骨に軍事技術の転用であったか、というポイントです。
私はしばしば海軍技術将校たちの戦後の貢献の話題に触れるようにしていますが、実際のところテレビ放送は電波戦略の申し子そのものですし、洗濯機や冷蔵庫などいわゆる「白物家電」はコンプレッサー技術などやはり戦時技術の民生製品への転用を基本にしていると言ってよいでしょう。
洗濯機、冷蔵庫ともそれら自体がそもそも兵站に役割を果たすものでもあります。とりわけ冷蔵の技術は食料補給を戦略化するうえで非常に重要なポイントになります。
缶詰・乾パン類中心だった太平洋戦争の兵士食
話がいきなり飛ぶようですが、私の父方のルーツは佐賀でして、唐津線で佐賀にほど近い「小城」というところの出になります。
小城藩は肥前鍋島藩の支藩で小さなところですが、明治以降、特に「佐賀の乱」で、せっかく維新に貢献したのに中央官界などでのパワーを失って、貿易や外交など「鍋島水軍」以来の海事に携わる人が一定数あったようです。私の祖先もそうした中にありました。
さて、小城では意外なものが明治以降特産物になります。「羊羹」です。「小城羊羹」といってご存じの方は、中々このあたりにお詳しいと言ってよさそうです。特に第2次世界大戦終結までは、小城羊羹はかなりの出荷がありました。
なぜか?
買い取ってくれるお客があったから、なんですが、一体それはなぜだと思います?