中国有数の民間経済研究機関である北京天則経済研究所の理事長、茅于軾(ぼう・うしょく)氏による特別寄稿をお届けする。

 茅氏は1929年生まれ。経済学者として一貫して中国の公有制経済を批判し、中国が実現すべき市場経済の姿を訴え続けてきた。80歳を超える今も、講演や執筆活動などを精力的に行っている。

 「改革開放」政策によって中国は飛躍的な経済成長を遂げた。しかし、中国の成長の本質を見極めるためには、それ以前の計画経済時代の総括から行わなければならない。

 今回は、前篇と後篇に分けて、建国以来の中国の経済史を概観し、今後を展望する。翻訳は、JBpress のコラム執筆者でもある富士通総研の柯隆氏が行った。

 「改革開放」政策は30年経過し、中国経済は目覚ましい発展を成し遂げた。この事実は、中国の友好国であろうが、中国を敵視する国であろうが、否めないことである。

 それ以上に、中国人は身をもって経済発展を実感している。特に、30代以上の中国人は全員この変化を自らの目で見てきた。おおよそ95%の中国人は中国の経済改革を体験し、受益している。

希望に溢れていた建国直後の経済復興

 ただし、現状に満足しない中国人も少なくない。彼らの不満というのは、30年前に比べ、生活レベルが低くなったことに対するものではない。

 まず、改革開放以前の30年間についてどのように振り返ればいいのかについて、中国社会で必ずしもコンセンサスが得られていない。特に若い中国人は改革開放以前と以降の変化を体験していない。

 振り返れば、1949年から55年までの7年間、中国の経済建設は大きな成功を収めた。それまでの中国は8年間にわたる抗日戦争と、3年に及ぶ共産党と国民党の内戦により、満身創痍の状態であった。その結果、経済建設は大変難しい状況にあった。

 49年、中華人民共和国が建国された。中国に平和が訪れ、人々は国を再建するチャンスを手に入れた。当時、ほとんどの中国人は心を一つにして協力し、国家建設に専念した。社会情勢は希望に満ちあふれていた。

 49年から51年の回復期を経て、「第1次5カ年計画」(53~57年)が始動した。当時、中ソ友好条約が結ばれ、ソ連の援助を得ることができた。大量のソ連の専門家が中国に派遣され、中国の経済建設を助けてくれた。

 156項目に上る建設プロジェクトが実行に移され、人々の生活は急速に改善された。順調な経済建設を背景に、毎年5~10%も賃上げされていた。それに対して、物価の上昇は小幅に止まった。全国は明るさに満ちた好景気だった。

 50年から52年にかけての朝鮮戦争は中国にとって大きな負担だったが、経済建設を停滞させるほど問題は大きくなかった。