鳩山政権の事業仕分けが進む中、スパコンに代表される大型研究開発プロジェクトの凍結や予算削減の是非が議論を呼んでいる。私は事業仕分けの場に立ち会ったわけではないけれども、評価者の厳しい質問に対して回答に苦慮する官僚の姿が目に浮かぶようだ。

 「いつになったら成果が出るのか」「その技術は世の中の役に立つのか」「そんな技術が本当に必要なのか」「開発になぜそんなにお金がかかるのか」「あれは無駄じゃないか、これも無駄じゃないか」等々。

 イノベーションという現象の特質を考えるなら、これらの問いに対する明確な回答を用意して、評価者の攻撃に反論できる方が不思議なくらいだ。

 イノベーション活動には、常に、2種類の不確実性がつきまとう。1つは「自然の不確実性」。研究開発とは、この不確実性に対する人間の挑戦なのだが、それがいつ成功するのか、また成功するかどうかさえ、万人が納得する形で示すことは難しい。

 もう1つは「社会の不確実性」。技術開発に成功して、新しい製品やサービスが登場したとして、人々はどれだけの価値を認めてくれるのか。事前にこの問いに答えるには、人々の欲求の変化、社会の構造的変化、競合技術の発展を含む様々な要因を予測することが必要となる。神様でもない限り、これらについて正確な予測をすることなど不可能だろう。

個人の主観でスタート、だが周囲への客観的な説明が求められる矛盾

 もちろん、イノベーション活動を推進する当人は、技術開発の成功と、それがもたらす社会的価値に対して強い信念を持っているに違いない。しかし、その主観的な信念を万人に伝え、説得することは容易ではない。だから、多くのイノベーション活動は、その継続に必要な資源を、いかに獲得するかで苦慮することになる。

 イノベーション研究センターでは、「大河内賞」 を受賞した技術開発プロジェクトの詳細な事例研究を、5年以上にわたって進めている(大河内賞とは、日本の優れた技術革新を表彰する賞で、産業の発展に大きく寄与したことが受賞の基準になっている)。

 これまで分析した22の事例の中で、開発前史を含む当初から事業部や経営トップから支持を得られていたものは4事例にすぎない。一方、14の事例においては、活動継続に必要とされる資源獲得上の困難に直面していた。

 当初から成功が保証され、その社会的な価値を正確に見積もることができるのであれば、それは、イノベーションとは呼ばれないだろう。しかし、その一方で、社会の人々が広く正当性を認めてくれなければ、イノベーション活動を継続する資源(ヒト、モノ、カネ、情報)を得ることはできない。どんなに素晴らしい革新的アイデアも、資源獲得に失敗すれば、日の目を見ることはない。

 ここに、イノベーション活動を進める上でのジレンマが存在する。