11月4日の米大統領選で、バラク・オバマ候補が地滑り的な勝利を収めた。商売柄、私は過去20年日米双方の選挙を観察しているが、候補者の言動と選対陣営の統率がここまで見事に機能した例を知らない。芸術的な勝利と言ってよいだろう。集団を組織して統率、鼓舞する点で、オバマには天賦の才がある。(敬称略)
勝利の美酒に酔いしれることなく、オバマは来年1月20日の就任へ向け、政権移行チームの組織化にその能力を遺憾なく発揮している。投票から2日後、ホワイトハウスの要である大統領首席補佐官には、2006年中間選挙で選挙対策委員長として民主党上下両院の多数派奪還の立役者となったラーム・エマニュエル下院議員を指名した。
エマニュエルは、ビル・クリントン政権のホワイトハウスで上級顧問として活躍した。そのタフな姿勢から、当時から「ランボー」というあだ名で呼ばれていた人物。恐らく、その由来にはユダヤ系米国人の彼が湾岸戦争の際、イスラエル国防軍に市民ボランティアとして志願して基地に勤務していたことも関係しているのだろう。
移行チームの責任者として、オバマはクリントン政権で首席補佐官を務め、現在は自ら創設したシンクタンク「米国進歩センター」(Center for American Progress)の所長を務めるジョン・ポデスタを任命した。どちらかといえば、ポデスタはクリントン人脈であり、オバマとそれほど深い関係があったとは思えない。しかし、ポデスタの組織を動かす能力を見極め、最初の人事を行った。
現在、ブッシュ政権からオバマ政権への移行作業は、歴史上類を見ないほどスムーズ、かつスピーディーに行われているようだ。政権移行はそれまでお互いに痛烈に批判し、感情的なしこりもあるライバルとの「共同作業」になるため、これほど円滑な例は珍しい。
国防総省の悲劇、政治任命2人だけ
今回の政権移行作業がうまくいっているのは、ブッシュ政権側にもそれなりの理由がある。
大統領選まで2週間を切った10月後半、私は来日していたオバマ陣営の友人と話す機会があった。選挙の勝敗の流れは、その時点でほぼ決しており、友人にはオバマ政権の人事の見通しをいろいろと尋ねた。
私の質問に対し、逆に彼は「2001年1月のブッシュ政権誕生からほぼ8カ月後、9.11同時テロが起こったが、そのとき国防総省で働いていた政治任命者の数は何人か知っているか」と聞いてきた。米国では長官以下、次官補(日本でいえば局長)レベルに至るまで、政府官僚のエリートはすべて政治任命であり、セキュリティー・クリアランスと呼ばれる身辺調査の後、議会が承認した上で初めて公職に就くことができる。
私も知らなかったが、9.11の時点で議会承認を得て国防総省で公職に就いていた政治任命者は、ラムズフェルド長官とウルフォウィッツ副長官の2人だけ。この例をもって、オバマ次期政権の人事を選挙前の10月に占うのは「気が早い」と諭したわけだ。
実は9.11の国防総省の悲劇こそが、今回のブッシュからオバマへの移行劇がスムーズな原因の1つなのだ。2000年の大統領選ではブッシュ、ゴア両候補への投票数が僅差となった。勝負の行方を決めるフロリダ州での再集計をめぐり、両陣営が泥仕合を展開。このため、移行チームの発足が大幅に遅れ、国防総省幹部の政治任命なども後ズレする結果となった。
同時テロへの米政府の対応を超党派で検証した2004年の「9.11テロ委員会報告」は、政府官僚の任命プロセスが遅く、政治任命職の空席が多かったため、テロ発生前の国防総省の対応能力が損なわれたと指摘した。委員会はそのうえで、今後の政権が官僚任命のプロセスを早めるよう提言している。これを尊重する形で、ブッシュ政権や議会は迅速な政権移行のための立法を準備していたのだ。