吉田簑助、フランス大使館で国宝の技を披露 - 東京

文楽人形遣いの人間国宝・吉田簑助さん・左(資料写真 9月公演の演目とは関係ありません)〔AFPBB News〕

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 人形遣いは、左手一本で人形の重みを支える。十兵衛の人形を遣った人間国宝の吉田簑助さんは、今年76歳を迎えた。当代随一の人形遣いといえども、通常の人形に加えて、旅荷物の重さが加わるのは負担だ。

 公演が始まって数日たったところで、「振り分け箱をもうちょっと軽くしてほしい」との要望が小道具係に伝えられた。

 箱の大きさは変えられないため、荷物の中身を発砲スチロールに入れ替えて作り直そうということになった。小道具係が2つの箱を棒から外し、外側の油紙をはがしてみると、中から出てきたのは、太平洋戦争中に使われていた慰問箱と、同時期のものと思われる菓子の箱だった。

60余年ぶりに見つかった軍事郵便の箱と、菓子箱

 慰問箱は、徴兵され故郷から戦地へと旅立っていった夫や息子に宛てて、家族が衣類や手紙などを入れて送るために使われたもののようだ。箱の側面には「慰問函」「皇軍慰問」の文字が大きく印刷され、上部には、「軍事郵便」と印が押されている。ぺン書きで「片岡久二」の宛名もくっきりと残る。

 菓子の箱は岐阜県の菓子メーカー鈴木栄光堂の「ゼリコ」。ゼリコは、キャラメル味のキャンディーで、現在も、東海地方などを中心に販売されているが、箱には「ツヨイ日本ニ」の文字があり、いかにも、戦時中を彷彿させる。

 文楽では、人形や小道具を公演のたびごとに修理をしながら、大切に、長年に渡って使うのが当たり前だ。人形が着る着物も、衣裳担当が江戸時代の古い布などの出物があった際に買いためたものを大切に使っているという。

 そんな、「年代物」に慣れきった文楽関係者も、小道具の中から60年以上も前の慰問箱が出てきた時には、一様に驚いたという。

 戦時中は、当然のことながら、文楽関係者にも召集令状が届き、戦地に赴いた人もいた。中には、足を負傷して戻り、人形遣いから、小道具係へと転身を余議なくされた人もいたそうだ。

 慰問箱が小道具の「振り分け箱」に姿を変えたのは、こうした事情が何か関係しているのかもしれない。しかし、今となっては、当時のことを記憶している人はなく、詳しい経緯は誰も分からないという。