あれから8年・・・。

 2001年9月11日午前7時45分、特派員として時事通信ワシントン支局に勤務していた筆者は、「いつも通り」メリーランド州の自宅から愛車で出勤した。上空には雲一つなく、爽やかな秋晴れが広がっていた。

 「いつも通り」寄り道して、ワシントンの13番街とGストリートの交差点にあるカフェに到着。ニコチンとカフェインで怠惰な脳にムチを入れ、ワシントン・ポスト紙をパラパラめくる。「大したニュースがないなあ・・・」と欠伸を噛み殺しながら、ナショナル・プレスビル5階にある支局へ「いつも通り」向かう。まさか、これが最後の「いつも通り」になるとは・・・。

WTC倒壊の粉じんが原因での病死者を、「9.11テロ犠牲者」に初認定

倒壊する世界貿易センター(WTC)〔AFPBB News

 9時15分、支局の入口で携帯電話が鳴ったが、部屋に入る方が早い。熱血漢の支局長が振り向いて叫んだ。「飛行機がニューヨークの世界貿易センター(WTC)に衝突したぞ」――。

 CNNテレビの映像は、映画ロケ現場でラジコン飛行機が模型の高層ビルにゆっくり突っ込んでいるように見えた。「いや、これは現実なのだ。しかも2機目? テロじゃないか!」――。

 9時半過ぎ、右耳の方向から「どーん」という鈍い衝撃音が聞こえた。「ホワイトハウスが攻撃されたのか、まさか・・・」――。

 テレビのリモコンを狂ったように押し続けると、FOXテレビが見覚えのある五角形の建物を映し出した。米軍事力の象徴が黒煙を吹き上げる姿を見るや否や、「ペンタゴン(米国防総省)がやられたぞ」――。無意識のうちに大声を張り上げていた。体内のアドレナリンが激増し、無性に喉が渇く。大ニュースに遭遇した時に共通する症状が表れていた。

 ニューヨークのWTCは倒壊し、ワシントンでは「退去命令」が出て全省庁が閉鎖された。同時多発テロ発生直後、ブッシュ大統領は遊説先のフロリダ州で「テロリズムは打倒されよう」と言明しただけで、危機管理対策から行方をくらます。

 このため種々の噂が飛び交い、連邦政府やメディアの関心は「あと何機突っ込んでくるのか」に集中。しかし誰にもその実態は分からず、「見えざる敵」と戦う恐怖感が加速度的に増大した。

 原稿処理に追いまくられていると、日本大使館から連絡が入り、「ワシントンの邦人に退避勧告を出しましたから、記事にしてください」。「書いている自分も対象のはずだが・・・」とふと思ったが、次の瞬間には「記者の運命なんてこんなもんか」と妙に納得した自分が可笑しかった。

東京から軍用機で帰還、財務省壊滅も覚悟したテーラー次官

「財務省壊滅」覚悟したジョン・テーラー財務次官(参考写真=中野哲也撮影)

 当時、米財務省のジョン・テーラー財務次官は、対日協議のため来日していた。都内のホテルのテレビを見て、同時テロ発生を知ったという。全日程をキャンセルして急遽軍用機に乗り込み、ワシントンの財務省へ舞い戻った。そこは、時事通信の支局から1ブロックしか離れていない。

 後年、テーラー氏は著書『テロマネーを封鎖せよ』(中谷和男訳・日経BP社)で当時の追い詰められた心境を明かしている。

米財務省

 「ワシントンに帰任すると、そこは厳戒態勢にあり、極度の不安と緊張が張りつめていた。ワシントンは新たな攻撃の標的になりかねず、なかでも諜報機関はホワイトハウスと、その周辺の行政府ビルや財務省などの施設を警戒していた」

 「わたしたちは予想される最悪のシナリオをたてた。そして財務省ビルが壊滅した場合に備えて、しなければならない重要事項のリストを作成したが、例えば為替市場に介入しなければならない時のために、300億ドルの為替安定化資金を用意することなどだった」