2009年8月30日、日本の歴史は大きく動いた。
第45回衆院選は、民主党が308議席を獲得して圧勝を収めた。一方、自民党は119議席にとどまる惨敗を喫し、結党以来初めて第1党の座を失い、政権交代が確実になった。自民、公明両党連立の旧体制は、新政権を求める圧倒的な世論の「風」に敢えなくなぎ倒されてしまった。(敬称略)
「ミッチーの息子」追い出すなんて・・・頓挫した改革路線
なぜ、自民党はこれほどまでに大敗を喫したのか。初めにあるベテラン党職員の冷静な分析を紹介したい。
「もともと自民党が小泉構造改革路線にブレーキを掛けたことが失敗だった。安倍政権で郵政造反組の復党を認めてしまい、有権者に『あれれ?』と不信感を持たれてしまった。それが、最初のつまずきだ」
「つまり、今の民主党はいわば『小泉改革』をやろうとしている。だから、国民に支持されている。結局、自民党は小泉改革を断念し、古い自民党に戻って『先祖返り』してしまった。だから、国民の信頼を失った」
「もちろん民主党の政策にはバラマキが目立つが、民主党は官僚主導の政治システムを壊し、政治家主導の政治システムにしようとしている。それこそ、自民党内でも小泉改革の一環として考えていたことだ」
「だが、小泉政権後の安倍、福田、麻生政権と続く間に、自民党は次第に古い体質に戻ってしまった。国家公務員制度改革は頓挫してしまい、推進者の渡辺喜美さん(元行政改革担当相)を自民党から追い出してしまった。ミッチー(渡辺美智雄元外相)の息子を追い出すなんて、本来の自民党ではあり得ない話。喜美さんを離党に追い込んだ時、党内には国民からどのように見られているのか、全く分からなくなっていた」
「自民党がやろうとしていたことを、今、民主党がやろうとしている。だからこそ、民主党は支持されたのだ。自民党は改革路線を放棄して生まれ変われず、有権者の不信を招いてしまった・・・」
7月21日、解散を断行した首相・麻生太郎は「行き過ぎた市場原理主義から決別する」と宣言、ようやく小泉改革路線からの決別を鮮明にした。それまでは改革を推進するのか、あるいは慎重なのか中途半端な姿勢を続けていた。
小泉改革に否定的なベテラン前議員は「財政出動して大胆に政策転換を図るべきだ」と助言していたが、麻生の態度は解散日までどっちつかず。自民党内の構造改革推進論者と反対論者が激しく対立し、どちらにも「いい顔」をするものだから、決断力や指導力の欠如だけが浮き彫りになってしまった。
人材払底した自民党、選挙戦で「オウンゴール」連発
小泉政権後、選挙を経ないまま自民党は政権を「たらい回し」にした。安倍晋三、福田康夫ともに任期途中で首相のイスを投げ出してしまい、世襲議員のひ弱さを露呈した。
その後、自民党は麻生を「選挙の顔」に仕立て上げた。しかし「とんでもない食わせ者」と国民が理解するまでに、そう時間はかからなかった。
発言のブレや失言、漢字の誤読が相次ぎ、内閣支持率は加速度的に下落した。自民党議員のほとんどが「支持率20%前後の麻生政権で選挙に勝てるわけがない」と分かっていても、麻生に代わる人材がもはや払底していた。麻生で突っ込むしかなく、まさに自民党にとっては自滅・自爆選挙となった。