日本経済の最前線は熟練した技能やノウハウを持つ人たちが支えている。高齢化が加速度をつけて進む中、国際競争力を保つためにも彼らの培ったパワーを後進に生かす道を考えなくてはならないのではないか。

熟達の眼力が明暗を分けた

 今年の5月7日、山梨県大月市の天候は雨だった。2~3日前から降りだした雨が朝から止まない。中日本ハイウエイ・エンジニアリング東京の大月道路事務所の上席技師で、高速道路の安全点検が仕事の小俣将高さんは、いつものように午前中から社用車の助手席に乗り込み、中央自動車道の下り車線を走っていた。

 正午少し前に71.3キロポイント付近の、大月インターチェンジの上り方向出口ランプ近くに差しかかった。ランプと平行して市道が走り、その市道の上側の斜面が見える。どこにでもある高速道路脇の斜面だ。その斜面の残像が小俣さんの目に残った。

 「なんだかいつもと違う」。気になった小俣さんは、携帯電話で大月保全・サービスセンターに連絡した。昼食を後回しにした担当者が現場へ急行して調べてみると、「法面(のり面)」の下側の土が膨らんで盛り上がっていた。法面とは山を人工的に斜めに削って作った道路の壁のことで、強度を増すために鉄筋で枠を作って芝草などが植えてある。その表面の土が盛り上がっていたのだ。

 雨は相変わらず降りしきっていて弱まる気配がない。「このままでは斜面が崩落する危険がある。市道を通行止めにしなければ」。土木の専門家も駆けつけて対策協議が始まった。

 午後3時過ぎ。現場の手前では、通行止めを前に通りかかった一般車両のドライバーが係員と押し問答していた。「急ぎの用事がある。とにかく通してくれ」「いや、安全が確認されるまでは通れません」

 そこへ、ビシッ、ビシッと鈍い音が響き渡った。のり枠を支えていた鉄筋が土砂の重さで分断される音だ。「崩れるぞ」「離れろっ」怒号が響いた。高さ14メートル、長さ20メートル、約300平方メートル分の土砂が音を立てて崩れ落ちたのは、それからすぐのことだ。

 市道は完全に土砂でふさがれ、崩れた土砂は高速道路のすぐ脇まで迫った。凄まじいその光景を目の当たりにした一般車両のドライバーは、無言で引き返していった。

 一方、7月24日から26日にかけての福岡県内も激しい集中豪雨に見舞われた。大野城市の九州自動車道須恵パーキングエリアから太宰府インターチェンジの間、77.6キロポイント付近で法面上側の山が崩壊。高速道路を走行中の普通乗用車が土砂に呑み込まれて、乗っていた夫婦1組が生き埋めになって死亡した。

 「被災者ゼロ」と「死亡2名」の明暗を分けたのは、中央道で「何かが違う」と感じた小俣さんの熟練の目だ。

 製造業では、そういう経験豊富な熟練者だけが持つ勘やコツを「カンコツ」と呼ぶ。