中央政界のキャリアに乏しい、しかもアフリカ系の若き政治家が突如現れ、米国第44代大統領に就任した。なぜ永田町には「和製オバマ」が登場しないのか。日本政治の劣化には、ジャーナリズムにも罪があるのではないか。政権交代後、霞が関の意識は変わるのか、日本の外交政策はどうなるのか・・・。鈴木美勝・時事通信社解説委員へのインタビュー記事の後半を掲載する。(2009年8月5日インタビュー、取材協力=JBpress副編集長・貝田尚重、撮影=前田せいめい)
JBpress なぜ日本には「オバマ」が登場しないのか。米国もテレビが政治を動かす「テレポリティクス」という点では同じではないか。
時事通信社解説委員兼Janet編集長
茨城県出身。1975年早稲田大学政治経済学部卒、時事通信社入社、政治部配属。ワシントン特派員、外務省、首相官邸、自民党各記者クラブのキャップを歴任後、政治部次長、ニューヨーク総局長。著書に新刊『いまだに続く「敗戦国外交」』(草思社)のほか、『小沢一郎はなぜTVで殴られたか』(文藝春秋)など。
鈴木美勝氏 難しい質問だ。どういう形の政治家が生まれるかは(選挙制度だけではなく)、その国の文化、社会風土や社会の仕組み、つまり(政治家を目指す人間の)生活経験の影響がかなり大きいように思う。
オバマ米大統領は、ケニア人の父親と白人の母親を持つ。常に多人種・多民族社会の中での存在、他者との関係に悩みがあり、常にどう行動すればいいか、真摯に考える部分があったと思う。
いつ大統領になりたいと思ったかは別として、オバマ氏は学生時代からリーダーとしてどうあるべきかを考え、その能力も備えていた。コロンビア大学に進んだ後、普通の日本のエリートではやらないことをやる。シカゴでコミュニティーに入り込み、(地域活動を)実践する。そこに、米国でリーダーが輩出する強さの秘密が隠されている。日本ならば、「机上で優秀な人」で終わってしまうだろう。
複雑で多様な人種を抱える国を統治するのは、異文化間対話ができるリーダーでなくてはならない。とすれば、そういうリーダーを育てる教育を常に行う必要がある。だからこそ活字だけではなく、口頭や口語体でのコミュニケーションを重視する。
幼稚園や小学校では「Show And Tell」があり、自分の大切な宝物を持ち寄っては「どうして宝なのか」を必死に説明する。中学校ではディベートやロールプレイングがあり、高校生になると政策論争を習う。例えば、バイデン副大統領が教育・福祉や外交に関してどういう主張を持つかリサーチし、彼に成り切る。論争の相手は当然、共和党を演じる。そういうことを常にやっている。
これまでの日本は、喋らなくても意思疎通が可能な社会だった。平均的な人間を育てるにはよいが、オバマ大統領のような傑出した人材を拾い上げる機能はないし、そういう教育もしてこなかった。それが、日本の戦後教育の失敗だし、今の日本の弱さにつながると思う。
JBpress 「和製オバマ」は期待できそうにない?
鈴木氏 日本では、やけに「オバマ人気」が出てしまっている。若い政治家も「オバマ、オバマ」と叫び、まるで自分が改革者になったかのようだ。また、喋るということだけで、有能なリーダーの条件を満たすかのような錯覚があるけれど、実際はそんな甘いものではない。オバマが通ってきた道を学び、「少しは爪の垢を煎じて飲め」というところだ。
日本政界では喋りが上手い人でも、それだけだから、単なるキャンペーン政治家になってしまう。古いかもしれないが、汗を自分でかくことが大切だ。その部分が、今は全く欠けてしまったのではないか。