米国が今月中にも、東南アジア友好協力条約(Treaty of Amity and Cooperation: TAC)に署名する意思を公式に表明する可能性が高まっている。

 7月23日、タイで第16回東南アジア諸国連合地域フォーラム(ASEAN Regional Forum)が開かれ、これにヒラリー・クリントン国務長官が出る。アナウンスするとしたらその場でだろうと、米議会調査局のペーパー(PDF)は予測している。

 米国はこの条約に加わることを長年躊躇し、避けてきた。いま加盟しようとする意味合いは小さくない。米国のアジア政策が旧来の枠組みを超え、一歩踏み出しつつあることを象徴する出来事となるからだ(しかるに本件、邦字メディアでは共同電や読売新聞が2~3度ごく短く触れたのみ)。

東アジアサミットに米国は入るか

 「東アジアサミット(EAS)」の正式メンバーとなるにも、TAC加盟は必須の条件をなす。果たしてTAC加盟後の米国は、次にEASへ加わるのか。

 日本はまさにそうなることを待望してきた。先ごろワシントンで聞いた限り、国務省は「なお検討中」との公式姿勢を崩さぬものの、バイデン副大統領に近い政策スタッフは「EASに入る手筈だ」と明確な見通しを示していた。

 いま政策を改めTACを認めるからには、その先のEASに加わらないと画竜点睛を欠く。前者だけで後者に進まないとは、常識上考えにくい。今秋、オバマ大統領が日本を含むアジア諸国を歴訪する際、因縁のインドネシアででも発表するつもりだろうか。

 TACとはASEAN基本文書の1つ。そしてEASとは、日本があくまでASEANを主役に盛り立てながら、主としてシンガポールとはからいつつ2005年秋に発足させた集まりである。この経緯によって、TAC加盟がEASに入る前提条件となった。

なぜ日本は米国を入れたがったか

 日本が米国をEASに引き入れたがった事情とは、中国の拡大する影との対抗上、EASを幾分かは民主主義の集まりという体裁が出るよう、苦心して仕上げた経緯があったからである。

 日本とシンガポールは何かと相談ずくで、インドという「世界最大の民主主義国」をEASに引き入れた。

 次いで、TAC承認をためらっていた豪州に打開の方策を伝え、キャンベラを招じ入れた。ニュージーランドも参加の運びとなった。

 このことの結果、北からインドシナ半島を通って陸路で縦に及ぶ中国の影響力に対し、旧英国植民地ないしドミニオンの、横に伸びる海のつながりを対置して、それによってEASに開かれた、デモクラシーの基調を与えることに成功した。

 さもなければ既往のASEAN+3(ASEANに加え日中韓)の閉鎖空間で、日本は中国と難儀を極めるゲームを戦い続けていなくてはならなかったところである。

 次なる論理の必然として、民主主義の盟主でありアジア太平洋の確固たる住人でもある米国が加わらなければ話は完結しない。2005年、日本は盛んにそうワシントンのヒモを引っ張ったが、後に谷内正太郎外務事務次官(当時)が回想するところでは「関心を示したのは(既に国務副長官の座を退いていた)リチャード・アーミテージだけ。ブッシュ政権はまるで興味をみせなかった」。