生真面目な内容ばかり続いたので、今回は尾籠(びろう)な方面を少々・・・。

 詩人で劇作家の寺山修司と作家の吉行淳之介がこんな話をしているのを見つけた。

吉行 女性に関して、地理派と歴史派とあるというのは、寺山さんがいい出したんだろう。

寺山 そうです。

吉行 つまり、駅弁でも買うように、手広くやるのが地理派で、歴史派というのは、一人の女を深く追究するタイプであると。それで、おれのことを地理派だといっていたけど、あなたはどっちですか。

寺山 ぼくも地理派ですね。

吉行 そうかねえ。

寺山 日本は、歴史派の漁色家を非常に尊ぶ傾向があって、地理派はあまりはやらないですね。

吉行 しかし、歴史派は相手が一人だから、漁色ということにはならないだろう。

寺山 いや、一人の女から百人分を引き出すという意味では、やっぱり一種の漁色ですよ。
これも一つの才能だと思う。

吉行 おれ、わりにその才能もあるんだよ。

寺山 それじゃ、社会科全部だな、地理も歴史も(笑)。

                     『やわらかい話─吉行淳之介対談集』(講談社文芸文庫)

 たわいがないと言ってしまえばそれまでだけれど、愉快で機知に富んだ掛け合いは見事としか言いようがない。これはまだほんのさわりなので、興味のある方はぜひ全編をお読みいただきたい。

 さて、私は自他共に認める歴史派だが、妻からどれほどのものを引き出しているのかとなると、あまり自信はない。そもそも自分の思い通りに女性から何事かを引き出せるという発想が、なんとも強気というか、勘違いもはなはだしいのかもしれなくて、これは男女の立場を入れ替えてみればすぐに分かる。それに自分が引き出した感興や能力がきっかけになって、女性が離れていく場合だってあるだろう。

 そう考えてみると、男女が刺激を与え合うというのもなかなか恐ろしいことである。しかし刺激も変化もなければ、その先に待っているのは倦怠しかない。

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 故人ばかり登場させて恐縮だけれど、ある日曜日の夕方、大岡昇平(*1)が福田恆存(*2)の家に電話をかけた。するとお手伝いさんが出て、旦那様は今お風呂に入っていますと言う。大した用事でもないので、それなら奥さんでもいいんだと大岡が言うと、奥様もお風呂に入っていますとのこと。お手伝いさんとは顔見知りなので、あいつらはいつも2人一緒に入るのかいと大岡が聞いたところ、旦那様が家にいる時はそうですとの返事。

(*1) 大岡 昇平(おおおか・しょうへい) 1909~1988
東京生まれ。京都帝大仏文科卒。帝国酸素、川崎重工などに勤務。1944年、召集されてフィリピンのミンドロ島に赴くが、翌年アメリカ軍の俘虜となる。49年、戦場の経験を書いた『俘虜記』で第1回横光利一賞を受賞。代表作に『野火』『花影』『レイテ戦記』などがある。

(*2) 福田 恆存(ふくだ・つねあり) 1912~1994
東京生まれ。東京帝大英文科卒。中学教師、雑誌編集者、大学講師を経て、文筆活動に入る。代表作に『人間・この劇的なるもの』『藝術とは何か』『私の國語教室』などがある。