菅直人首相が、6月8日で就任から1周年を迎えた。まもなく退陣が決まっているとはいうものの、安倍晋三首相(366日)を超えて、小泉内閣以降では最長記録になりそうだ・・・などと笑っている場合ではない。

 菅首相は新憲法で29人目と、世界最多のイタリア(38人目)にかなり迫ってきた。イタリアの首相が短命になる原因は、比例代表で小党分立が続くからだと言われてきたが、日本では二大政党にして政権を安定させようとした小選挙区制の導入後に逆に短命になり、ここ15年で11人である。小泉内閣を除くと、平均1年にも満たない。

 なぜここまでひどいことになったのか、いくつかの仮説で考えてみよう。

仮説1──「政治家の質が落ちた」

 かつての吉田茂や田中角栄などに(毀誉褒貶はあっても)大宰相の風格があったのに比べると、最近の政治家のスケールが小さいことは事実だ。

 高度成長期の自民党には、軍事的には日米同盟、経済的には財界という基盤があり、財政も豊かだったので、それを地方に再分配する利権を有力な派閥が握ることによる求心力があった。それが90年代以降、分配する利権がなくなって派閥の求心力が落ちたことが1つの原因だろう。

 その中で唯一、長期政権を維持した小泉純一郎氏は、最近ではまれに見る大宰相である。小泉政権が5年半も続いたのは、派閥システムに依存しないで世論に訴えて改革を進めたためだが、実際には彼は老練な派閥政治家の面も持っていた。

 経済政策の要に竹中平蔵氏という官僚機構に依存しないで政策立案できる人材を据え、経世会を徹底的に排除して「体制内改革」を実現した。それを支えたのは、霞が関に詳しい飯島勲秘書官による名人芸とも言うべき人事だった。

 小泉氏のおかげで、賞味期限の過ぎていた自民党は10年生きながらえたが、小泉改革は首相の「個人商店」的な性格に依存していた。このような「天才」によってしか政権が維持できないというのは、制度として欠陥があると言わざるを得ない。問題は政治家の資質ではなく、仕組みなのだ。