パリのシンボル、エッフェル塔。塔という単語tour(トゥール)が女性名詞であるためだろう。このモニュメントは “La Dame de fer” (ラ・ダム・ドゥ・フェール)、「鉄の貴婦人」と称される。

今年5月に120歳の誕生日を迎えた



トロカデロ広場から望むエッフェル塔(上)内側から見上げる塔の骨組み(中)足下から望むエッフェル塔(下)

 今年5月15日、そのエッフェル塔が120歳の誕生日を迎えた。記念特別チケットが配られたり、パリ市庁舎で「エッフェル展」が始まったり、貴婦人の誕生日にちなんだイベントが話題になったりしている。

 エッフェル塔が建てられたのは1889年。フランス革命(1789年)から100年目を記念するパリ万博のモニュメントの1つとして、当時はまだ一面の野原だった練兵場に、高さ300メートルの塔を建てるという企画が持ち上がった。

 植民地政策の富に潤い、ブルジョワジーの台頭著しい時代の万博である。107のプロジェクトが提出され、技術と美を競い合った。コンペティションに勝ったのが、ギュスタフ・エッフェルだった。

 当時50代半ばのエンジニアである。それまでに彼は、ボルドーの全長500メートルにもおよぶ橋をはじめ、ポルトガルでもポルトの橋など、国内外の巨大プロジェクトを、いずれも鉄という素材を使って作成し成功させてきた。フランスからニューヨークに贈られた「自由の女神」の骨格を制作したのもエッフェルのグループである。

 ところが、300メートルという前代未聞の高さのモニュメントの建築に当たっては、技術的な困難のほかに、芸術家や文化人からのバッシングという強烈な向かい風が待っていた。

 「目がくらむほどの馬鹿げた無意味な塔がパリを見下ろす。黒くてばかでかい工場の煙突がその野蛮なかたまりでもって、ノートルダムやサントシャペル、サンジャックの塔、ルーブル、アンヴァリッドのドーム、凱旋門を押しつぶす、歴史的建造物に対する侮辱・・・」

オペラ座設計のシャルル・ガルニエやモーパッサンは大反対

 1887年、塔の工事が始まった頃の新聞に著名人の連名で掲載された抗議文には、熾烈な景観論争がうかがえる。そこに名を連ねた人の中には、オペラ座を設計したシャルル・ガルニエやモーパッサンらがいる。