旧ユーゴ紛争最後の大物「戦犯」、ラトコ・ムラディッチがセルビア当局に身柄を拘束された。

 ボスニア・ヘルツェゴビナのセルビア人地区スルプスカ共和国の参謀総長として、1992年から95年にかけて、スレブレニツァの虐殺やサラエボ包囲などを指揮したことが人道に対する罪に問われ、これからオランダ、ハーグにある旧ユーゴ国際戦犯法廷(ICTY)で裁かれることになる。

サラエボに登場したスナイパー通り

ボスニア戦犯ムラディッチ被告の捜索

1994年当事のラトコ・ムラディッチ〔AFPBB News

 セルビア人勢力による街の「包囲」で、紛争当時のサラエボでは物流ばかりか電気や水道までもが遮断され、基礎インフラにも事欠く生活を強いられていた。

 いくつかの道はスナイパー(狙撃手)の標的となる「スナイパー通り」と化し、歩こうとすればすぐさま撃たれてしまう危険があったことは、『ウェルカム・トゥ・サラエボ』(1997)でも描かれている。

 米国デイトンで停戦合意が成されてから間もない1996年にサラエボでロケが敢行されたこの作品が映し出す戦闘の爪痕そのままの映像には、フィクションの域を超えた説得力がある。

 紛争当時、サラエボの現状はニュースでも度々流されていたし、そんな場面が頭に染み込んでいるから、平和を取り戻した街を歩いていても、撃たれるはずもないのに妙に落ち着かなかったことを思い出す。

 民族や宗教、そして過去の怨念とも言える歴史など、複雑な要素が絡み合う旧ユーゴ紛争で、1つの勢力だけに絶対的正義を帰することは難しい。

反セルビアへと舵を切った欧米諸国

サラエボ中心部に建つビルは弾痕だらけ。長い間焼け焦げたままで放置されていた

 しかし、こうした残虐行為が一向に収まらない現状に業を煮やした欧米諸国は、反セルビアとして介入していくことになる。

 メディアや映画が扱うものもセルビアの非人道的行為が多くを占め、遠くから眺める我々が持つセルビアの印象は悪くなる一方だった。

 そんな中、まだボスニア・ヘルツェゴビナ紛争が現在進行形だった1995年、サラエボ出身のエミール・クストリッツァ監督は、第2次世界大戦勃発の頃から50年以上にわたる祖国ユーゴの現代史を皮肉たっぷりに『アンダーグラウンド』(1995)で描き、カンヌ映画祭パルムドールを獲得した。

 しかし、斬新なアプローチの映像表現への評価ばかりか、セルビア贔屓との非難をも数多く受けることになってしまう。