あのときがあったからこそ今がある

 日下が佐藤に初めて会ったのは2011年のこと。佐藤は仙台を拠点としていたが東日本大震災により転校をよぎなくされ、川越のリンクで一時練習していたときだ。

「そのときは小学校1年生くらいでしたけど、とにかく練習する子というイメージがありました。いつ休憩してるんだろうって思うくらいずっと練習していました」

 その後、佐藤は仙台に戻ったが2018年、父の転勤により埼玉県へと移り、日下の指導を本格的に受けることになった。

「それまでも時々来ていたりしたので、新規でみます、というのではなく、一緒に頑張ろうね、っていうフレンドリーな感じから始まりましたね。

 あの子の持ち味がとにかくジャンプだったので、まずいいところから広げていこうと思いました。最初は4回転サルコウを本人がやっていたのですが、こちらに来て4回転トウループを練習したんですね。そのはまり方がすごかった。3回目で降りて、2週間くらいあとのブロック大会でも成功させたんです。ジャンプの順序に関しては、あの子に何をやりたいかを聞いて、それを優先してやらせていました。あの子にはもともと計画性がありました。その上で上手になってこれていたので、あの子の考えを優先しました」

 日下のもとに移り2シーズン目、2019-2020シーズンにはジュニアグランプリファイナルで優勝。日本男子4人目のチャンピオンとなった。シニアになった2020-2021シーズンはコロナにより通常の国際大会はなくなり、全日本選手権では5位の成績を残して終えた。

 迎えた2021-2022シーズンは北京大会のあるオリンピックイヤー。

「あのシーズンは辛かったですね」

 と日下は言う。

 佐藤も五輪出場を思い描いていた。だがグランプリシリーズのスケートアメリカにおいて公式練習中に左肩を負傷。全日本選手権でも演技中に痛め、本来の演技には届かずに終えた。代表入りはかなわなかった。

「ただ、あの脱臼を完治させずに引きずっていたら、たぶんもっと大怪我をしていたと思うんです。(代表になれず)全日本が終わった直後に病院に行って、その後手術という形をとることができました。ミラノ・コルティナオリンピックに向けて合わせられたんじゃないかな、あのときがあったからこそ今があると今は実感します」

 佐藤自身はどう受け止めていたのか。

「あの子のいいところは、自分に足りなかった部分を自分ですぐ理解できるのと、切り替えの早さ。よかったとき、駄目だったとき、とにかく切り替えるのがものすごく早いんですね。北京オリンピックの開会式のときは入院していました。もちろん辛かったとは思いますけど、2人で会ったときはくよくよしていてもしようがない、次、行こう、みたいな感じでした」