赤壁の周瑜像 写真/trikehawks/PIXTA(ピクスタ)
約1800年前、約100年にわたる三国の戦いを記録した歴史書「三国志」。そこに登場する曹操、劉備、孫権らリーダー、諸葛孔明ら智謀の軍師や勇将たちの行動は、現代を生きる私たちにもさまざまなヒントをもたらしてくれます。ビジネスはもちろん、人間関係やアフターコロナを生き抜く力を、最高の人間学「三国志」から学んでみませんか?
36歳の若さで死去した、呉の天才軍師が温めていた天下取り構想
赤壁の戦いで、呉軍を率いて劇的な勝利を収めたことで有名な軍師、周瑜。彼は孫権とその兄の孫策に仕えた人物で、南方の名家の出身でした。彼の従祖父の周景は、その部下にあの荀彧の父も含まれるほどの人物でした。
周瑜は175年揚州で生まれ、名門の子弟として何不自由ない幼少期を過ごしています。しかし、後漢帝国の運命が暗転してゆき、名門周氏も新たな機会と安定を手に入れる必要性が出てきます。周瑜は当時評判を高めていた孫策(孫権の兄)に会いにゆき、親交を深めます。
以降は軍事指揮官、ならびに孫策の相談役として活躍し、孫策が南方に拠点を築くための初期の戦闘では、いくつもの地方勢力を打倒して孫策の基盤固めに大きく貢献しました。
彼の人生のクライマックスの一つは、208年の赤壁の戦いです。呉の陣営は、自軍に数倍する軍勢を持つ曹操の来襲に、「降伏か徹底抗戦か」で紛糾します。
『三国志演義』では、赤壁の戦いで諸葛亮と劉備陣営も大活躍しますが、史実では多くの戦勝の要因は呉軍とその指揮官の周瑜でした。呉と孫権を主戦論に導いた周瑜の手腕が、呉の運命を劇的に飛躍させたのです。






