家庭用ビデオの普及の陰にアダルトビデオが存在したように、インターネットの世界でも、アダルト情報が隠れたキラーコンテンツの1つであることに、異論を差し挟む人はいまい。ネット上にはポルノ画像が氾濫しているし、男女の出会いを目的にしたチャットなども盛んだ。それゆえに、敬虔なイスラム教徒の中には、「イスラム社会にとって好ましくない技術」とインターネットを嫌悪し、毛嫌いする人たちがいる。
中野哲也撮影
前回のコラム(「表現の自由VSイスラム価値」2009年3月30日公開)で、イスラム文化圏でインターネットへのアクセスが制限されていることについて、アムネスティなどの国際人権団体とアラブ諸国政府との間には見解の相違があることを紹介した。これは、西欧とイスラムの「文明の衝突」なのだろうか。そして、イスラムの教えやイスラム法は、インターネットの普及を本当に拒否しているのだろうか。
実は、イスラム教の宗教的な見解を示すファトワ(法学裁定)は、道具としてのインターネットを否定しているわけではない。ナイフは人を殺す道具にもなれば、家族のために美味しい食事を調理するための道具にもなる。ナイフそのものが、良いか悪いかを議論することに意味は無いのと同じことだ。問題は、一人ひとりのイスラム教徒がインターネットをどう使うかということにあるという。
ネットで情報発信、イスラム知識人
しかも、イスラム文化は伝統的に先端の科学技術を前向きに取り入れてきた。ルネサンス期以降に開花した西欧科学の下地を作ったのは、実はイスラム世界なのだ。インドで発明された10進法はアラブを経由して西欧に伝わり、今も、アラビア数字として世界の多くの国々で使われている。数学はアッバース朝期に最も発展した学問の1つであり、化学用語には「アルコール」「アルカリ」などのアラビア語起源の言葉が数多く残っている。
だから、イスラム知識人の中にはインターネットの効用を理解し、むしろイスラム社会に普及すべきツールと考える人も多い。自らインターネットを利用して、情報発信をする人もいる。
にもかかわらず、イスラム諸国では公然と「インターネットコントロール」が行われている。
インターネットコントロールとは、「制限=特定のサイトへのアクセス禁止」「検閲=メールや掲示板の内容チェック」「モニタリング=アクセス先や時間の記録」という3つの要素に集約できる。