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(池田 信夫:経済学者、アゴラ研究所代表取締役所長)

 総務省は放送制度に関する有識者会議で、マスメディア集中排除原則を緩和する方針を示し、3月中にも取りまとめる予定だ。これはローカル民放への出資規制で、テレビ業界の経営合理化を阻害してきた。

 今回の規制改革は、戦後ずっと続いてきた県域免許という聖域に手をつける出発点になる。メディア業界がグローバルに再編される中で、鎖国を続けてきた日本のテレビ局は、否応なく開国を迫られるのだ。

番組の供給を受けて「電波料」をもらう楽なビジネス

 日本の放送局のNHK・民放の二元体制ができたのは、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の1947年の指令によるものだ。戦前の日本の放送は国営の日本放送協会しかなかったため、戦時中は大本営発表をそのまま放送し、戦意昂揚に利用された。

 そのためGHQは、NHKを政府とは独立の特殊法人とし、言論の多様性を保障するため民放は県域ごとに独立の県域免許とした。これに従って放送法ができ、1953年からテレビ放送が始まった。

 民放は最初はばらばらに独自の番組を放送していたが、次第にキー局や新聞社が出資して系列化された。しかし県域免許があるため、ローカル局は子会社にならず、キー局はローカル局に番組を供給して電波料を払う特異なビジネスモデルができた。

 これは無線局が払う電波利用料とは違い、ローカル局がキー局から番組の供給を受けて(その県域の電波を提供する)電波料をもらうものだ。いわば小売店が問屋から商品を卸してもらってカネをもらうような世界一楽なビジネスである。

 電波料は非公開だが、スポンサーの払う広告費のほぼ半分が(全国のローカル局に払う)電波料と推定されている。ローカル局も地方CMだけでは採算がとれないので、経営は電波料というキー局の補助金で成り立っている。

 おかげで70年間、日本の地上波局は倒産も企業買収もまったくない。結果的には放送の多様性を保障するという県域免許の目的とは逆に、ローカル民放の放送の9割はキー局の制作した番組で、地元で制作する番組はローカルニュースぐらいしかない。