折茂武彦(おりも・たけひこ)B.LEAGUE(B1)レバンガ北海道の代表取締役社長。1993年にトヨタ自動車(現アルバルク東京)でキャリアをスタートし、2007年にレラカムイ北海道へ移籍、その後経営難によりチーム消滅。2011年にレバンガ北海道を創設し、選手兼代表を務める。2019−20シーズンで引退した。190センチ77キロ(写真:花井智子)

 社長を兼任しながら49歳まで現役選手を続行した、レバンガ北海道の折茂武彦。本企画では、初の著書『99%が後悔でも。』を起点に、北海道のバスケットボール文化向上に身を捧げる折茂の半生やマインドを全5回で掲載する。

 最終回となる第5回は結びとして、折茂の決断を支えてきた破天荒なマインドと、これからのプロバスケットボールクラブに求められるものを聞いた。

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1本目:https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/66075
2本目:https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/66170
3本目:https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/66196
4本目:https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/66334

(青木 美帆:スポーツライター)

愛され続けるために、やるべきことがある

──壮絶な創設期を経て、10年が経ちました。折茂さんを含め3人で立ち上がったレバンガ北海道は、現在25人のフロントスタッフを抱え、リーグ屈指の「観客を呼べるクラブ」に成長しています。

 観客動員については、今季は人数制限や道内のコロナ情勢によって6位でしたが、それまでは2位、2位、4位と上位につけています。

 上位にランクインしているクラブは、プレーオフに進出するような強豪ばかり。レバンガのように成績が振るわないクラブが多くの観客を動員できるのは、勝敗に関係なく応援していただける関係をファンのみなさまと築けてきたからなのかなと考えています。

──動員が好調だったレラカムイが解体し、「北海道バスケットボールクラブ」になったころは、リーグのワースト記録を作るほどに観客が落ち込んだそうです(※1)。どのように立て直しを図ったのでしょうか?

 特別なことはやっていませんが、デジタル施策だけでなくアナログな施策も大切にしています。

 例えば、学校訪問やチラシ配り、低価格のチケット販売などを通じて、子どもたちにレバンガのファンになってもらうことを意識していますし、コロナ禍になる前は選手とファンとの交流イベントをかなり多く実施しました。

 地域の人々とリアルな接点を増やすことで、選手たちも「ファンあってこそのプロ」ということを理解し、精力的にファンサービスを行ってくれています。

 ただ、第1回でもお話ししたとおり、じわじわと動員が下がってきていることも理解しています。華やかなエンターテインメント性も備えるプロスポーツですが、本質はあくまで勝負。ここまで負け続けていると、応援してくださっている方の目も厳しくなって当たり前だととらえています。

※1 レラカムイではなくなった新しい北海道のチームからファンは離れていった。メンバーは同じでも、ごたごた続きで、しかも勝てないわたしたちは、急速に求心力を失いつつ合った。(中略)「北海道バスケットボールクラブ」としてシーズンを戦って約2カ月。地元・札幌での日立戦。スタンドはガラガラだった。来場者数は395人。チームはもちろん。JBLのワースト記録らしかった。(『99%が後悔でも』第4章 返す より)

──終身雇用の時代が終わり、平均寿命が伸びたこともあり、40〜50代から新しい世界にチャレンジする人が増えた印象があります。そのような方にアドバイスがあればうかがいたいです。

 一つ言えるのは、チャレンジに年齢はまったく関係ないです。大切なのはいつから始めるかでなく、どれだけ本気か。もちろん、新しいことを始めれば誰だって失敗しますけれど、本気と覚悟があれば「どう改善していこう」と考えられると思うんです。

──北海道に来るまで、折茂さんのバスケットキャリアは「成功」と言って差し支えないものだったかと思いますが、北海道では成績不振、経営難、新米社長としての奮闘という過程の中でさまざまな「失敗」も経験されました。それなりに年を重ねた上で経験した失敗というものは、なかなかこたえるものだったのではないでしょうか?

 どうでしょうね。大変は大変でしたけど、それは年齢とは関係のないものだったように思います。

 僕って若いころから極端な性格で、普通って言われるのが一番嫌だったんです。だって普通って全然面白くないじゃないですか(笑)。

 普通でいるくらいなら悪いほうを選んで、そこからよくしていけばいいよねっていうマインドです。

──順風満帆な生活が続くと退屈してしまう。

 振り返ると、ずっとそんな人生でしたね。進路選択もそうでした。

 無名の埼玉栄高校から強豪の日本大学に進学する際も、「試合に出られなかったらどうしよう」なんてことは一切考えませんでしたし、トヨタ自動車に入団した理由は「弱いチームを自分の力で強くしたい」でしたから(※2)。

 いつも「自分だったらやれる」「なんとかなる」と思って行動してきたんです。さすがにレラカムイがなくなって、社長になったときは「これはどうにもならないかもしれない」と思いましたけどね(笑)。

 レバンガの立ち上げ初年度には東日本大震災がありましたし、現役引退を決めた一昨年のシーズンは新型コロナウイルス感染拡大の影響で中止になりました。そういう星のもとに生まれたのかな…なんて思ったりしもします。

※2 母親が切り出した。「トヨタにバスケ部なんてあるの? そんな訳のわからないところに本当に行くの?」その言葉には、戸惑いと若干の怒気が含まれていた。(中略)5シーズン前までは2部リーグに所属していて、1部昇格後は毎年、リーグ戦で最下位争いを繰り広げている、いわば“お荷物”チームだった。(『99%が後悔でも』第2章 勝者のメンタリティ より)

──Bリーグの創設から5年が経ち、日本のプロバスケットボールは成熟期へ向けた新たなフェーズに進んでいきます。今後の展望をどのように考えられていますか?

 Bリーグ自体は、課題はありつつも、全体的によい方向に進んでいると感じます。ただ、創設してまだ5年ということもあって、プロ野球やJリーグのような盤石さはありません(※3)。

 リーグをさらに大きく、より良いものにしていくために我々クラブができることの1つに、地域との結びつきの強化があると思います。何のために地域にバスケットボールチームがあるのか。そこをもっと考えていかなければという思いです。

※3 すべてのクラブが、いつでも5000人の会場を埋められるようになる──。それが本当のスタートだと、わたしは思っている。言い切ってしまえば、5000人が集められないようでは、プロスポーツとしては「話にならない」ということだ。プロ野球を見てほしい。平日開催でも、数万人のファンを集めている。「人が少ない」といわれる試合でも、最低10000人以上は動かす。(『99%が後悔でも』第6章 日本バスケットボール界の未来 より)

 レバンガが本拠地とする北海道の人々は、現状は大半が「レバンガがあってもなくても関係ない」というスタンスだと思いますが、我々は日常の生活の中でレバンガを必要としてくれる人を増やし、地域に愛されるクラブになるというミッションに本気で挑んでいます。

 各クラブが地域に関わるたくさんの人を巻き込み、応援していただける体制を整えていくことで、バスケットの輪は日本全国により大きく広がり、多くの人々の支持を得られるようになると考えています。

(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)