折茂武彦(おりも・たけひこ)B.LEAGUE(B1)レバンガ北海道の代表取締役社長。1993年にトヨタ自動車(現アルバルク東京)でキャリアをスタートし、2007年にレラカムイ北海道へ移籍、その後経営難によりチーム消滅。2011年にレバンガ北海道を創設し、選手兼代表を務める。2019−20シーズンで引退した。190センチ77キロ。(写真:アフロスポーツ)

 選手として前人未踏の記録を打ち立て、同時に2億円を超える借金をしてまで北海道の地にバスケットボールクラブを残した──。

 レバンガ北海道の折茂武彦は、唯一無二のキャリアをもって変革期の日本バスケ界を切り開いたパイオニアだ。

 昨年3月には、初の著書『99%が後悔でも。』を刊行。本企画では、北海道のバスケットボール文化向上に身を捧げる折茂の半生やマインドを全5回で掲載する。

 第2回は、これからのクラブの基盤となる選手育成への思いや、プロバスケットボール選手のあるべき姿について聞いた。

第1回はこちら
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/66075

(青木 美帆:スポーツライター)

日本バスケに個性とストーリーを

──レバンガ北海道はU15チームが強豪で、今春にはU18チームもスタートされましたね。第1回のインタビューでも著書の中でも、次世代の育成への強い思いを感じました(※1)。

 はい。コロナの影響でスタートが遅れているクラブもありますが、うちは予定通りこの春から始動しています。

──他クラブのU18もサッカーのクラブユースも、選手たちはバラバラの学校に通い、活動時間に合わせて集まる形が主流ですが、レバンガ北海道U18は、全選手が北海道文教大学附属高校に所属するという方式をとられています。なぜこのような形にしたのですか?

 一番の理由は北海道の広さです。我々の拠点は札幌市。全道から募集をかけても、遠方に住んでいたら検討しづらいんです。この課題をクリアするために、我々は数年をかけて北海道文教大学附属高校との連携協定を実現させました。

 選手たちは寮が完備された高校に通いながら、バスケットボールと勉学に励みます。このような形はやりたいと思ってもなかなか実現できるものではありません。

(※1)クラブの経営と共に、自分が果たすべき大きな役割があると考えている。若手や子どもたちの育成と強化だ。(中略)いま、八村塁や渡邊雄太がNBAで活躍している。彼らのすごさは言わずもがなだが、バスケットボール界全体のことを考えれば、単発ではダメなのだ。世界に通用する選手が絶え間なく出てこそ、日本のバスケットボールが真に発展したと言える。そのために必要不可欠なのが、育成・強化だ。(『99%が後悔でも』第6章 日本バスケットボール界の未来 より)

──ここで育った選手がトップチームに入っていくような青写真を描かれているわけですね。

 そうですね。ただ、彼らがこの5年間ずっと最下位争いをしているチームに将来入りたいと思ってくれるだろうかと、正直疑問に思ってもいるんです。

 第1回でお話したことの繰り返しになりますが、だからこそトップチームの強化を進めなければならないなと。「子どもたちが目指すべきもの」としてもトップチームは強くあるべき。どれだけ育てても「他のチームに行きたい」と言われたらそれで終わりですから。

──選手育成というところに少し関連して、選手個々のキャラクターについてもお話をうかがいます。折茂さんは著書の中で「Bリーグには観客を呼べる選手が少ない(※2)」と述べられていますが、この点はどのように改善できると思いますか?

 1つは、選手の個性やストーリーを感じられるように工夫をすることですね。

 うまい選手はたくさんいても、ワクワクする選手が本当に少ないし、全国の方に「知っているBリーグの選手は誰ですか?」って聞いてみたら、ほんの数人しか出てこないと思うんです。

 これはおそらく、選手たちの個性やストーリーが見えづらいからだと思うんです。

(※2)いくら技術がすごくても、観客を呼べなければ、プロ選手としての価値はまだまだ。(中略)例えば、選手10人がそれぞれ1000人の観客を呼ぶことができれば、それだけで1万人だ。レバンガ北海道は平均3700人を動員しているが、いったいひとりあたり何人の観客を呼べているのか?(中略)ファンを集めるだけの選手をどう育てていくか。それもクラブの責任だ。(『99%が後悔でも』第6章 日本バスケットボール界の未来 より)

(写真:アフロスポーツ)

──確かに、バスケットボールに限らず、個性的なプロアスリート自体がかなり減った印象があります。例えばやんちゃで破天荒な選手。折茂さんも若い頃はかなりとんがった選手だったようですね(※3)。

 いい悪いは抜きにして、僕の若い頃はキャラが立った選手が本当に多かったです。

 僕個人としては、やんちゃな選手は嫌いじゃないんです。そういう選手って一挙手一投足を見ているだけで楽しいし「何かしてくれるんじゃないか」「こいつ、やべえな」ってワクワクさせられるじゃないですか。ファンも同じだと思うんですよね。経営者としては困りますけど(笑)。

 あの頃とは時代が違うとはいえ、そういう選手がいないことは寂しくもあります。

(※3)ファールをした際のわたしの態度に激怒した新潟のブースターが「折茂てめー!! 手くらい挙げろこの野郎!!」と罵声を浴びせてきた。(中略)こともあろうにわたしは「いちいちうるせーな!」と“反撃”に出て、あろうことか彼らに“中指”を立てた。(中略)前代未聞、そんなやつ見たことがない──わたしの話だが……。(『99%が後悔でも』第1章 選手で社長、バスケットボールと経営 より)

 もう1つ、これからの選手たちには、プロ選手としての価値はプレーだけでは高まらないということを認識してもらいたいですね。競技やクラブを知ってもらう活動をすることや、社会のために影響力をおよぼすこともプロ選手が担う大きな役割だと。

 キャリアの大半を企業スポーツ選手として過ごしてきた私は、勝利と個人の数字だけに執着して、ファンや地域のことを考えずにプレーしていました(※4)。私自身の反省を踏まえ、選手たちに強く訴えたいことです。

(※4)「無理、絶対やらない」。何度そう言ったかもう覚えていない。レラカムイ北海道は、とにかくわたしを取材に駆り出した。(中略)そのたびに抵抗した。(中略)重要なのは試合で勝つこと。勝利を目指すために必要なことは惜しまずするが、それ以外のことに協力する筋合いはないだろう。そんなふうに思い続けていた。あの頃の態度は本当にひどかったと思う。(『99%が後悔でも』第1章 選手で社長、バスケットボールと経営 より)

──東京オリンピックは、スターが生まれる大きなきっかけになりそうでしょうか?

 そうですね。全国民が注目するオリンピックは、日本のバスケットの魅力を知ってもらう大きなチャンス。

 僕は若い頃、いろんな方に「オリンピックに出たら日本のバスケは変わる」と言われながらプレーしていながら、とうとうその目的を果たすことができませんでした。日本代表には、この大会を機に日本のバスケットをよりよい方向に導いてほしいと心から願っています。

 個人的には、勝ち負けはどうでもいいと思っています。選手たちはただただ全力でがんばって、自分たちの現在地がどこなのかを見定めてほしいですし、日本バスケットボール協会にはこの大会をマイルストーンとして、これからの方向性を決めてもらいたい。

 育成強化、PRなども含め、日本のバスケットボール界にとって本当に大切な大会になると思います。

東京五輪初戦は世界ランク2位のスペインに77-88と善戦した。(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)

※このインタビューは6月26日に行われたものです。

(第3回につづく)