(廣末登・ノンフィクション作家)
筆者の郷里、博多の古い人たちは、祭りの日を、日常生活を区切る目安としている。たとえば、せっかちな者が何かをしないといけないなどと進言すると、「どんたくの終わってからでよかろうが(いいんじゃないか)」、「山笠のあとたい(後でよい)」「放生会(ほうじょうや)の済んでからでよかっちゃない(いいんじゃない)」などと言い、先延ばしにする。
そして、大人は祭りを口実に、お天道様の高いうちから酒を飲み、子どもはお参りなどそっちのけで、夏の虫のごとく露店の明かりに吸い寄せられる。とりわけ、秋の訪れを告げる筥崎宮(はこざきぐう・福岡市東区)の「仲秋大祭 放生会」(9月12日から18日の期間開催)は、福岡市民も、市外の人も心待ちにしている九州一のビッグ・イベントである。
福岡の秋の訪れを告げる「放生会」というタカマチ
だいたい、祭りの日程上、ソフトバンク・ホークスの試合と被るので、ナイト・ゲームが終わってからも人出は収まらない。だから、境内の喧騒は深夜にまで及ぶのである。筥崎宮の境内に並ぶ露店(サンズン=三寸)は600から700軒、来場者100万人ともいわれる。
だから、テキ屋はこの日に備えて、ネタや備品の支払いをツケにしてでも、放生会の準備のために万全を期す(カネを回して新たなネタを仕入れる)。最大のかき入れ時ともいえるタカマチ(大きな祭り)なのである。ちなみに、福岡は大宰府天満宮の初詣も有名であるが、規模的には放生会の方が大きい。
福岡・博多では「放生会」を、「ほうじょうや」と発音するが、他地域では「ほうじょうえ」ともいう。これは、もともと仏教の戒律に発する行事であり、「殺生戒」に基づき鳥や魚を野に帰す。江戸幕府の寺社奉行制に見られる通り、日本の神仏習合によって神道にも取り入れられ、神社における祭りが衆目のなかでは一般化したものである。