東北関東大震災の爪痕は大きい。

 私の友人のアパレル系製造会社の社長は、バブル崩壊後の1994年頃、企業を維持していくための新工場の進出先をいろいろ考えた。

 当時は「中国ブーム」で、こぞって中国に進出する雰囲気だったが、社長の「日本で雇用を守りたい」という思いから陸前高田に工場をつくった。同地の人々は辛抱強く、明るく、働き者で、社長も「良いところに進出した」と喜んでおられたのだが、今回、津波の餌食になってしまった。すべてが流されてしまった。

 「今は何も考えられません。でも、たくさんの友達が色々心配し励ましてくれるので、『元気を出さなければ!』と思い直しているところです」と社長は涙ぐんでおられた。

ものづくり企業に広がる「東北の仲間支援の輪」

 知り合いの社長からメールが来た。

 <墨田の○○製作所です。弊社のある墨田でもかなり大きな揺れを感じ、今でも余震が続いておりますが、大きな被害が出ているところはない模様です。

 弊社でも棚からファイルが落ちたとか、食器が割れたというような小さな被害はありましたが、おかげさまで従業員がケガをしたとか、建物が崩れたとか、機械が壊れたとかの大きな被害はありませんでした。友達の工場でも、あまり大きな被害はなかったようです。

 私が今うれしく、誇りに思うのは、ものづくり企業の「東北の仲間支援の輪」が確実に広がっていることです。

 工具や、ホイスト、生活用品、インスタント食品や電池を届けたり、帰りの車で顧客への製品輸送を代行したり、道具類、計測器、標準機等を貸し出したり、続行不可能になった後工程を代行するとか・・・メール、ツイッターでやり取りをしながら助け合っています。(ツイッターは本当に役に立ちました)