いつの日からか、放浪する快感に目覚めた。時折、後頭部に暖かで湿った熱帯モンスーンの風が吹き抜けるという病気に見舞われ、その症状は発作的に表れ、気がつくとバッグを背負って世界を徘徊していた。

 その病気はますます悪化し、発作のたびに出版社を転々とし続ける。出版不況のどん底と言われた一昨々年に再び激しい発作に陥り、世界を徘徊。中南米、南極、ヨーロッパ、東アフリカ、中東、アジアを巡り、現在、一時帰国中である。

 日本でのリハビリ中に、「planetwalker.info」という旅の情報サイト(現在はまだラテンアメリカの国々と南極の情報に限られている)を開設したところ、当コラムの担当、T副編集長から「よくできたサイトですね。この内容や今までの旅行の経験をベースに、今度は世界旅行の心構えやノウハウを書いてくれませんか」との依頼を受けた。

 40歳を過ぎてから仕事を投げ出して世界一周の旅に出るという愚か者は、そうそう多くはないだろうが、私は前回の放浪で約80カ国以上を回ったことになる。

 今回より、それらの経験と独断と偏見で「世界旅行の掟」をしたためていきたい。実際に世界一周の旅に出ることがなくても、世界旅行の雰囲気や、異国を訪問する際の高揚感や喜びを思い描いてもらえたら幸いである。

再び元の自分に戻れないかもしれないというリスク

 第1回は、いかに社会離脱に踏み切るかについてだ。

 日本を離れて長期の世界旅行に出るということは、それまで属していた社会からの離脱を余儀なくされるということでもある。

 幽体離脱とは、意識あるいは霊魂が肉体から離れている状態を言うが、社会離脱は幽体離脱に似ている。

世界にはいくつもの楽園がある。タイのナンユアン島のビーチにて

 幽体離脱にはリスクがある。肉体と魂が離れると、再び元の自分の肉体に戻れない危険性があるという。しかし、魂が肉体を離れたとき、肉体に縛られない感覚というのはどういうものなのだろうか。おそらく、爽快な状況に違いない。

 社会に縛られず、心を解き放ち、自由な時間を謳歌するというのは、管理されたサラリーマン生活を続けていれば、そのような状況に憧れるものではないだろうか。