新年早々、地中海を望む風光明媚なエジプトの観光都市アレクサンドリアで、コプト教会前にしかけられた爆弾が爆発し多数の死傷者が出た。その後も列車内での銃乱射など事件は続発しており、ホスニ・ムバラク大統領はアルカイダの関与を疑う見解を発表している。
紀元1世紀からエジプトに根づいたコプト教
またしても起きたイスラム教とキリスト教の争い、とメディアは報じているが、一連の事件は、イラクやアフガニスタンで見られる反欧米に根ざした争いとは少々毛色の違ったものである。
と言うのも、キリスト教の一派であるコプト教は1世紀からこの地に根づく欧米以上の歴史を誇るものだからだ。
大まかにカテゴライズすれば東方教会となるコプト教会だが、その代表的存在のギリシャ正教やロシア正教が属する東方正教会とも相容れず、シリアやアルメニアなどとともに東方諸教会というものに分類されている。
そのため、日本人はもとより欧米人にも理解されにくいのだが、人口の5~10%程度を占めるエジプトでは無視できない存在なのである。
そんなコプト教の存在どころか、アラブの国であることの認識でさえ危ない日本人にとって、エジプトのイメージは依然としてナイル河とピラミッドであろう。
特にギザの3大ピラミッドはその圧倒的存在感から観光人気も高いが、そこは4500年前の権力者たちの墓場。はしゃいで見学しようという気には到底なれない。
より墓場然とした3300年ほど前のファラオたちが眠る王家の谷ともなればなおさらである。
しかし、そんな気持ちになることもない不届きな盗掘者たちにとっては、高価な副葬品の眠る宝物殿でしかなく、古代王室の人々も安心して眠りについてなどいられなかった。
こうして荒らし尽くされ、もう何も出ないだろうと思われていた1922年、英国人考古学者ハワード・カーターが、王家の谷で黄金のマスクをかぶったツタンカーメン王のミイラ発掘に成功する。