年の瀬は忙しい。昨今の経済低迷から資金繰りに奔走する人も多いし、街はキリスト教国ならずとも巨大クリスマスツリーや派手な飾りつけで買い物客を呼び込もうと必死だ。

チャリティー音楽の草分け、ジョージ・ハリスン

do they know it's Christmas の12インチシングルレコード

 繰り返し流れる変わり映えしないクリスマスソングの洪水にはウンザリさせられるが、そんな中でちょっと異色の曲調なのがバンド・エイド(Band Aid)の“Do they know it’s Christmas?”である。

 大仰なドラマ性を持ったその曲は、1984年、エチオピアを襲った大飢饉救援を意図し、英国ロック界の大物たちが集い作り上げたチャリティーソング。

 翌年、ライブ・エイドなる大がかりなコンサートへと発展し、米国で究極のオールスター競演チャリティーソング“We are the world”が生まれるきっかけともなったものだ。

 こうしたポピュラー音楽によるチャリティーの走りと言えば、元ビートルズのジョージ・ハリスンがバングラデシュ独立戦争で大量発生した難民救済に立ち上がった『バングラデシュのコンサート』(1971)ということになるだろう。

 しかし、チャリティーなど勝手知らぬ頃のこと。当局にチャリティー申請をしっかりとしていなかったばかりに多額の税金をかけられ、大成功したこの試みは、難民救済基金ばかりか、米国や英国の国庫までも潤すチャリティーとなってしまった。

ヒット曲の数々が楽しめる『グレン・ミラー物語』

 そんな国際的活動こそ最近始まったものだが、非常事態に陥った祖国の国庫を潤すために貢献したミュージシャンの歴史は古く、第2次世界大戦中、戦時国債募集に奔走し、各地でコンサートを開く者は数多かった。

 人気絶頂だったビッグバンドジャズの名トロンボーン奏者、グレン・ミラーはその代表的存在だ。

クロアチアのBand Aid のCD

 ヒット曲の数々が楽しめる伝記映画『グレン・ミラー物語』(1954)では、ラジオ中継予定のクリスマスコンサートのため、パリへと向かったグレン・ミラー少佐を乗せた軍用機が墜落、無念にも事故死したことがラストで感傷的に語られている。

 今では、オールスター競演のチャリティーソングなど珍しくもない。1991年、スロベニアとともに連邦脱退を早々に宣言、ユーゴスラビア崩壊の引き金を引いたクロアチアの歌手が一堂に会し“Hrvatski Band Aid”名義の曲を発表した(Hrvatskiとはクロアチアのこと)。