5月15日から19日まで、モスクワのエキスポセンター見本市会場のすべての建物を使って、恒例の「金属加工展」が開かれた。
この展示会は別名「工作機械展」とも言われ、1970年代から東欧、ソ連を中心とする社会主義圏の生産する工作機械と日本を含む西側各国の工作機械が一堂に会することで、関係者の間では大変有名な展示会である。
工作機械は、英語で「マザーマシン」と呼ばれるように、機械を製造するための機械であり、最終製品の精度はその製品を生み出した機械の精度に拘束される。
そのため、ソ連製武器の精度は、ソ連製工作機械である程度の予想は可能なため、冷戦時代には、軍事技術の観点からソ連の工作機械を専門にウオッチする研究者もいた。
ソ連の崩壊で一時的に産業衰退
その後、ソ連製工作機械では達成し得ない高精度加工の部品が出現し、そこから高度な西側製工作機械の社会主義圏への移転の事実が明らかとなり、このような取引を規制すべくココム規制が誕生することになる。
1990年代に入り、ソ連の崩壊、ロシア連邦の時代となるが、経済の混乱に伴い、軍需産業はその陰も見えないほど衰退してしまった。
混乱は経済だけではなく、政治的にも進むべき方向が見えない数年が続き、ボリス・エリツイン初代大統領は突然の引退、この頃がロシア史上最悪の日々だったと思う。
それでも毎年開催されていた金属加工展には、工作機械の代わりに工場の持つ中古自動車(クラシックカー)が出品され、高額な値段表がずらりと貼られていたのもこの時代だった。
その後、2000年に新大統領として登場したのがウラジーミル・プーチン氏である。この頃から奇跡的なことに原油価格、またそれにつれてガス価格が上がり始める。
この時代、非資源産品の輸出比率は低下する一方で、ロシアは資源、特にエネルギー資源の輸出で稼ぐ国、というイメージを確立する。