海外でのリリースに続いて日本でも始まった「ポケモンGO」、予想されたことでしたが、直後から事故や事件が相次いでいます。
交通事故は7月26日時点で全国36件、山に踏み込んで至近距離にクマがいるのに気がつかなかったとか、原発の中にポケモンが出没したとか、果ては箱根大涌谷の危険な立ち入り禁止区域にポケモンスタジアムが登場であるとか、エライことになっています。
現実はリアル、以前ならゲームの世界はバーチャルだったわけですが、両者がこのように互いに浸潤し合っている状況をオーグメンテット・リアリティ(augmented reality=AR)と呼んでいます。
実は私たちの生活にARはとっくの昔に入り込んでいます。例えばカーナビゲーションを考えれば分かりやすい。
GPSやグーグルアース的な仕かけが普及してARは人知れず社会に浸透して行きましたが、以前はMIT(マサチューセッツ工科大学)のメディアラボを始めとする先駆的な研究機関で細々とトライアンドエラーが繰り返される分野でした。
この「リアル」と「バーチャル」の谷間にある安全や法規制、モラルや社会的な問題を考えてみたいと思います。
「アニメの時間」を考える
先週も告知させていただきましたが8月9日長崎原爆忌、夏休みの行事として東京大学安田講堂でアニメーション「火垂るの墓」の全編上映と、高畑勲監督、俳人の金子兜太さん、黒田杏子さん、哲学者の一ノ瀨正樹教授をパネリストとするラウンドテーブル、高畑さん金子さんのテクストで私が書いた歌の追悼演奏などのイベントを行います。
都知事選のあおりで新聞告知が遅れており、まだ半分ほど残席があります。しかし新聞に出た瞬間にいっぱいになると思いますので、ここでも重ねて細々と告知しておきたいと思います。
お申込みは、希望者全員のお名前を明記して gakugeifu@yahoo.co.jp までお願いします。ボランティアの運営で成り立っていますので、時期の殺到を避けたく、地味にお知らせしている次第です。
さて、当日、高畑さんにもお伺いしてみたいと思うのですが、どうして「火垂るの墓」を作ったのか。理由はあると思いますが、私なりに思うのは「リアリティ」の問題です。
私はこの作品を大変大切なものだと思っています。これについては回を改めてきちんと記したいと思います。端的に言うと「現実」リアルにあったことに、より強い「リアリティ」を与えて、世代のバトンタッチをしている。
いまさら言うまでもなく「火垂るの墓」は亡くなった野坂昭如さんの小説で、終戦直後の神戸で起こった実話をもとにしています。つまり、主人公の少年は野坂さんがモデルで、ご本人が体験された妹の餓死という、言語に尽くしがたい体験を小説にしておられます。
野坂さんはこの作品で1967年の直木賞を受賞されました。昭和42年は戦後22年、つまりこの頃の30代、40代、50代、社会の中核層は全員「あの時代」を生き、経験し、記憶も持っていた。家族が餓死した人も沢山あった。